
アジア太平洋共同体構想を最初に提言したのはインドネシア人 (インドネシア版大東亜共栄圏構想の提案)
- 東南アジア最大の資源と人口を有するインドネシアは文化、歴史的にも世界史に於ける意義は大きく、インドネシアは今後、世界の経済大国になっていくものと思われる。1965年以前将来のアジア地域統合構想を考えたインドネシア人がいる。それは、戦前日本留学したアリフィン・ベイ氏で1965アジア年に太平洋共同体を唱えたが、以下の内容であった。そして、彼の予測は的中していた。
- 1.アリフィン・ベイ氏は戦前日本の広島に留学、被爆経験があり、ヘラルド・トリビューン紙ジャカルタ編集長でもあった。彼は1965年に豪州に対してアジア地域統合構想、所謂太平洋共同体構想を伝え、将来のアジア太平洋共同体社会を予言・提案した。それは2025年に実現するとし、その首都はバリのデンパサール、新名称をエクゥアトリアと命名している。パダン生まれのアリフィン・ベイ氏は戦前日本で学び、広島で原爆を経験したインドネシア人。西スマトラ州のブン・ ハッタ大学の副学長、筑波大、神田外国語大教授を努め、最初にアジア太平洋の時代を提唱し、アジア太平洋地域文明の建設を唱えた人である。
- 2.ベイ氏は、2025年は東南アジアと太平洋諸国連合であるアジア太平洋地域共同体が設立され、ここにアジア太平洋大学を創設、人材開発を世界中から集まった教授と生徒との協同で実施、そして地域文化オリンピックも提唱している。実際、1990年代からASEANが中心となるAPECが重要になってきたが、各宗教、人種の尊重を唱えるパンチャシラ哲学こそアジア太平洋共同体のバイブルであると考えており、ジャカルタのナショナル大学でも講義を行った。
- 3.ベイ氏は1981年にはアジア太平洋大学設立の前提とし、多国籍マルチナショナルの教授と生徒を集め、最初はアセアン大学の多国籍教育機関を提唱。多文化共同体、パンチャシラ共同体、太平洋ヘレニズム哲学を説いた。世界は今、冷戦後の新たなグローバル時代に入り、IT金融技術等により、貧富の格差、地域格差、そしてコロナ惨禍も加わり、経済不況、民族国家間の新たな紛争、米中、ロシア間の軋轢は世界の平和を崩し、核戦争の脅威さえ醸し出している。
- 4.この世界状況を救えるのは非同盟運動の創始国であるインドネシアで有ると思われる。日本は平和憲法に則り、世界の平和と安定のために貢献すると誓っている。インドネシアと協力して世界平和を創設する義務があると関代える。