
アチェ特別州
- 1. 州都
- バンダ・アチェ市
- 2. 人口
- 274.871人(2020年現在)
人口密度96人/km2 - 3.面積
- 57,365 km2(ほぼ、台湾、九州に相当)
- 4. 宗教
- イスラム教 98.48%、 新教プロテスタント 1.26% 、旧教 カトリック 0.10% 仏教 0.15% その他 0.01%。イスラム教徒の割合はインドネシアで最も高く、彼らはイスラム教の法律(シャリア)に従って生活。インドネシアの他の州とは異なりアチェ州は歴史的背景より独自のイスラム法による規制された自治権を持っている
- 5. 地理
- アチェはスマトラ島の北端に位置、インドネシアの最西端の州。インドのアンダマン諸島とニコバル諸島に北に隣接し、アンダマン海で隔てられている。アチェは北にベンガル湾、西にインド洋、東にマラッカ海峡、南東と南に北スマトラ州に接する位置にある。
- 6. 特徴
- イスラム教を州教とするイスラム名ナングロエ・アチェ・ダルサラームの名前に由来し、特別州の地位と特別な自治権も与えられている。アチェ州は石油や天然ガスなど豊富な地下資源を有し、豊穣なる土壌、豊かな林産・海産資源を持っていることより、独立の機運が強かったが、2004年アチェ大地震と津波震災の結果、約17万人が死亡または行方不明になり、この惨事の結果、インドネシア共和国政府と自由アチェ運動(GAM)との間に和平合意が成立し、独立派は武器を置いた。
- 7. 歴史
- アチェはインドネシアにおけるイスラム教の普及が始まった場所。東南アジアにおけるイスラム教の普及に重要な役割を果たした。17世紀初頭、アチェ・スルタンはマラッカ海峡地域で最も豊かで、最も強大、尊厳を持たれていた。アチェの歴史は政治的自由を求め、オランダ人入植者やインドネシア政府を含む外国人の支配に対し強く抵抗して来た歴史に特徴付けられる。他の州と比較し、アチェはイスラム色の強い非常に保守的地域。アチェはアチェ・ダルサラーム (1511-1945)として知られ、州名も1956年にアチェという名前が付けられ、その後アチェ特別地域(1959-2001)、ナングローアチェダルサラーム(2001-2009)に変更され、2009年から再び、アチェに戻った。ガヨ高原の湖畔遺跡あり、人骨も発見されている。何れもこの先史時代の遺跡は、約7,400〜5,000年前の人間の住居跡である。ベトナムで発見されるホンピャン文化に似ており、日本の貝塚から出て来る人骨遺跡とも共通性(埋葬方法等共通の海底に沈んだスンダ文化が共通の基層文化(琉球大教授)との説がある)がある。また、アチェは南アジア大陸(インド)本土から来たヒンズー教と仏教の影響も受けている。タミル語のノイス碑文もバンダ・アチェのネウスで発見されている。また、タミル語のタンジョール碑文には、1030年にアチェ・ラムリ王国はチョーラ王国のラジェンドラ・チョーラ1世によって征服された領土の一つであったと記されている。さらに、アチェは、スリウィジャヤ仏教王国の一部にもなったことがある。スルタン・イスカンダル・ムダ・メウクタ・プルカサ・アラム(アチェの第19代スルタン)の治世中、アチェ・ダルサラームは、最も豊かで繁栄。アチェ・スルタンは、16世紀にイギリス、オスマン帝国、オランダを含む西欧諸国と関係を確立していた。アチェ州ムラボ―県には漂着したポルトガル人の子孫が多い地域があり、オスマン・トルコとの交易地としてトルコ系との混血が多い。メダンのトルコ名誉領事は長身のトルコ系アチェ人である。
(アチェ戦争)
アチェ戦争は、オランダが1873年3月26日にアチェに宣戦布告したときに始まり、コーラー将軍が168人のジャワ人将校(KNIL)含む合計3,198人の兵士を連れて到着したことから始まった。戦争は1883年、1892年、1893年と何回も繰り返され、アチェ・スルタン王国1904年についに陥落したが、アチェの王族含め総計30万人以上が犠牲になってと言われる。この際、オランダは軍艦で攻撃、アチェナ軍も大砲を発射。以降もアチェ住民の抵抗は内陸部の司令官とアチェのウラマ・イスラム指導者に行われ続け、最終的には日本軍が侵攻するまで続いたと言われる。アチェ戦争は、インドネシアの歴史の中で最も悲惨な非人道的戦争(王族を全て抹殺)であった。
(アチェと日本軍)
日本が当初はヨーロッパ植民地人をアジアから追放するために戦争を始めた時、アチェの戦士たちは日本政府に使節を派遣。交渉は1940年に始まり、陸軍中野学校の藤原機関員は事前上陸し、アチェ人の助けを借りて1942年2月9日、日本軍はアチェ・ブサールに上陸。当初、日本軍はアチェの人々や指導者に親切で敬意を払い、イスラム教を尊重。しかし、アチェの人々は、朝の日の出に向かって皇居拝礼の強制等、これはイスラームの信条に反するとして、アチェ地方全域で日本軍に対する抵抗が始まった。
(アチェ独立運動)
アチェは元々、スカルノがイスラム法を施行するという約束でインドネシア独立戦争に加わったが、イスラム法が国家の基本として採用されず失望。西部ジャワのカルトスゥイリョによるダルル・イスラム国運動(分離独立武装運動)に加わると発表、インドネシア共和国軍と交戦。更に、1976年以来、自由アチェ運動 (GAM)と呼ばれるアチェ解放武装組織は、軍事的抵抗を続け、アチェをインドネシアから分離しようとしが、背後には欧米の石油資本があったと言われる。2004年12月26日、アチェ大地震・津波が発生、数十万人の犠牲者が出て、2005年8月15日、GAMとインドネシア政府は、30年近く続いた両当事者間の紛争を終わらせる和平合意に署名 - 8. 経済・輸出・金融
- アチェには、石油、天然ガス、金、石炭など多くの資源がある。アチェの総石炭埋蔵量は西海岸、すなわちアチェ・ジャヤ、西アチェ、ナガンラヤ、シンキル地区に広がり推量4億7,680万トンと試算。また、海産物としては、ロブスター、マグロ、カツオ、白身魚、海藻、農林産品では白松等の木材、コーヒー、香辛料、果物、野菜、ココア、ぺテルナッツ、ココナッツ、コメ、キャンドルナッツ、ナツメグ、ゴム、パーム等豊富。歴史的にも中東への食糧輸送基地でもあった。イスラム金融としてアチェ州はカヌン・イスラム法の下、金融は運営されている。すべての銀行システムは、Qanun LKS基準準拠。銀行業務は、金融、決済システムはシャリアの経済システム。特にアチェ政府がアチェ銀行を従来の銀行からシャリア銀行に変更し、現在に至っている。
- 9. アチェ州経済特区
- 2018年初頭以降、アチェ州各地には4万人の労働者を吸収するアルン・ロクセウマウェ経済特区(SEZ)等を開設。以下の多くの経済特区、大規模産業地域がある。 アルン・ロクセウマウェ経済特区(SEZ)、アチェ工業団地(ラドン)、アチェ石油・ガス管理庁特区、サバン島自由貿易経済特区、及び自由貿易港ビジネス管理庁特区、・国営会社アルン・ロクセウマウェ天然ガス液化プラント特区、北アチェ国営肥料会社・イスカンダル・ムダ肥料工場特区、北アチェ国営肥料会社・アチェ・アセアン肥料・プラント工場特区、北アチェ製紙工場特区、アチェ・ブサールのアンダラス・セメント工場特区、モービル北アチェの天然ガス精製所特区。但し、最近は石油、LNGも以前ほどの生産量は無く、その施設・港湾等は漁業加工輸出特区に移行しようとしている。