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インドネシアあれこれ

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ゴロンタロ州

1.州都
ゴロンタロ市
2.人口
1,198,765人
人口密度 88人/km2
3.面積
12,435km2
4.宗教
イスラム教97.38%、新教プロテスタント1.94%、旧教カトリック0.22%、ヒンズー教徒0.37%、仏教0.08%、儒教0.01%
5.人種・部族
ゴロンタロ人(大半)、ブギス人、ポラヒ人、ジャワ人、マカッサル人、バリ人、ミナハサ人
6.地理
ゴロンタロはスラウェシ島の北部に位置、州の総面積はインドネシア全土の0.67パーセント。古くから中東と中国を結ぶインドネシアの交易要路の一つ。オランダ植民地時代にはゴロンタロ半島として知られていた。南はトミニ湾、北はスラウェシ海という2つの重要な海域に隣接。群島の海事史において、スラウェシ海はスラウェシ島からフィリピンへの海運ルート、マレーシア東部のスルタン国の領海も通過かる重要拠点。
7.特徴
ゴロンタロは、マカッサルとマナドと並んでスラウェシ島で最も古い地域の1つ。また、北部インドネシアにおける貿易とイスラム教の普及の中心。ゴロンタロは色々な国籍や宗教の商人は、嘗て王によって暖かく迎えらて来た。2000年12 月5日、ゴロンタロ州が新州として誕生。地域の人口の大半は地元ゴロンタロ族。
8. 歴史
(先史時代)
北スラウェシ州マナドの考古学庁による調査によれば、ゴロンタロには南部地域にある先史時代の文明・文化遺跡があることが判明。「オルフタ サイト」と命名されている。これは推定で遥か2000 年以前の先史時代のもの。先史時代の遺物と墓を調査しつつ、正式なに年代を測定中。
(王朝時代)
記録調査によれば、ゴロンタロ半島は約1300 年前に形成され、西暦700 年頃、又は8世紀にスワワ王国が存在、これはゴロンタロ半島最古の王国。地元の先住民族の文献によれば、スワワ王国はスラウェシの他の王国にも広く知られ、王国との親族関係と貿易関係を樹立していた。この王国の存在の証拠は、ブラワ川の上流畔に王の墓が発見されている。また、ボーン川上流には、モルアドゥ王(スワワ王の一人)の墓とその妻子たちの墓があることである。王国の政府は慣習法に基づく立憲君主制を執り行い、実際に民主主義と王国の政府組織は、「Buatula Totolu」と呼ばれる協力的制度と組織があった。スルタンが王国の最高の政府首脳ではあるが、絶対的権力は持たず、スルタンは輪番の選出制度であった。
(植民地時代)
1677 年 9 月 27 日、オランダ人マルク総督ロベルトゥス パッドブルッヘ が初めてゴロンタロを訪れ、テルナテの役人を伴い、ゴワのスルタンがスラヤル島とマナド島の間に位置するスラウェシのすべての地域に対するテルナテの権利を承認するというオランダとの協定を提示。ゴロンタロに圧力をかけた。ゴロンタロ王はテルナテのスルタンを統治者として認めず、テルナテのマルク総督に従うとした。ゴロンタロ川をオランダVOCの交易輸送のため開放合意。この合意は、蘭印東インド会社(VOC) がゴロンタロでの政治的および経済的権益の始まり。ゴロンタロはテルナテ島とマカッサルを結ぶ主要な航路として、イエメンや他のアラビア半島からの中継地として長い間利用されてきた。
(反乱軍に対するレジスタンス闘争)
北スラウェシでの PRRI ペルメスタ闘争(オランダに組する分離独立運動)の間、ゴロンタロ地域とその周辺の人々は、ジャカルタの中央政府と戦うことを選択。スマトラ、東部インドネシア、マルク等英米蘭の支援を受けた反乱と言われる。スカルノはソ連、中国に近づき武器・食糧支援を受けた。
9.経済
ゴロンタロ半島は、古くからインドネシアの重要交易路。ゴロンタロの戦略的な位置は、北と南の地域間の輸送と貿易のルートの拠点中心。ゴロンタロは地域の農産物と水産物の交易拠点として重要な役割を果たしてきた。金、銀、奴隷、籐、コプラ(椰子実)は特に重要な産物。昔から、外国の商人は国王から特権を得、自由貿易を実施できた。自由貿易と商人の特権は外部からの新しい文化の伝播。中国、中東への貴重品産物はここから経由して運ばれた。ゴロンタロ州の経済は現在、インドネシアで最も急速に成長している。農業、水産業、サービス部門は、州の主要収入源。今後の有望産業分野としては、農業(ナタデココ、ココナッツオイル、ココナッツミルク)を含むアグリビジネス、プランテーション、鉱業(金、花崗岩など)、水産業。ゴロンタロ州をアグロ立国州として実現するためにはインフラ整備、農業生産設備の拡充、投資金融保証制度、農業人材の育成、基本価格保証付きマーケティング等、さまざまな開発プログラムが指摘され、現在実施中。また、食糧の多様化と地域の食糧安全保障における食用作物の開発も推進されている。100万トンのトウモロコシ農業開発、アグリビジネス開発、農協の拡充等重点的に推進。
10.文化
(ゴロンタロ格闘技)
伝統的な地方武術として、ゴロンタロには「ランガ」と呼ばれる剣舞がある。「シラット ゴロンタロ」とも呼ばれる。基本的にはシラットとして知られる武術の一種で、ランガは防御と手足の強さに頼る格闘技です。伝統王国が存在した地域には必ずあり(クシャトリヤの嗜み)、日本で言う武士道からくる柔術(新陰流体道)である。
(手工芸品)
州内各地域には独自の特性文化がえり、ゴロンタロ半島にも、ゴロンタロの人々は「服」やそれを引き立てるアクセサリーを身に着けるという慣習がある。ゴロンタロの人々の典型的な手工芸品はUpiya Karanji または Songkok Gorontalo。このソンコック(別名スカルノ帽子)は通気性に優れているため非常に快適に使用できる。インドネシア共和国の第4代大統領であるアブドルラハマン・ワヒドも、ゴロンタロのソンコック愛用者。カラヲ刺繍または透かし刺繍、ゴロンタロの特徴的な刺繍は、それ自体が文化財、芸術的価値が高く、現在、カラヲ刺繍は国内だけでなく海外でも人気が高い。
11.日本との関係(ゴロンタロの名前の由来)
或る日本人知人が、ゴロンタロの名の由来は、マナド同様日本に関係があると信じ、「五郎と太郎」という侍がいたとして現地で一カ月間調査。バイクを借りて隈なく調査したが、その事実は判明しなかった。しかし、アユタヤ朝の日本人町は突然消滅、混結児も入れて6000人いた日本人の半数は船団を引き連れ、南下し、インドネシア乃至はフィリピンに移住としたとの説がある。プラボウオ国防大臣の姪はインドネシア・プレスに対し、自分達母親系のマナド人に昔の日本の海賊・侍の血を引いている者がいると述べている。