
バリ州
- 1.州都
- デンパサール市
- 2.人口
- 4,317,404人(2020年現在)
人工密度 747人/km2 - 3.面積
- バリ州の面積は5,636m2(インドネシア全土の0.29%)
- 4. 宗教
- ヒンズー教徒 (86.91%)、イスラム教徒 (10.05%)、プロテスタント教徒 (1.56%)、カトリック教徒 (0.79%)、仏教徒0.68%、儒教徒0.01%
- 5.特徴
- バリ島はジャワ島とロンボク島の間に位置し、バリ人の大半はヒンズー教徒。バリ島は、特に日本とオーストラリアの観光客にとって、そのユニークな芸術文化のある観光地として有名。バリ島は「神々と千の寺院の島」と言うニックネームでも知られている。気候は熱帯気候。アグン山はバリ島の最高峰で、標高は3,148 m。この火山は1963年3月最後に噴火した。バトゥ―ル山もバリ島の火山の一つで、約30,000年前、大噴火し、地球上各地で壊滅的な災害を引き起こした。バリ州には、ベラタン湖またはベドゥグル湖、ブヤン湖、タンプリンガン湖、バトゥ―ル湖の山岳地帯に位置する4つの湖があり、バリ島の美しい自然は、バリ島を観光地として有名にしている。他の重要な場所は、ギャ二ャール県にある芸術と休息の中心地としてのウブド、ヌサレンポンガンは、クルンクンリー県にあるダイビング・スポットの1つ。クタ、スミ二ャク、ジンバラン、ヌサドゥアは、バドゥンリー県にあるビーチ・ツーリズムと休憩所、スパなど観光の主な目的地。
- 6. 歴史
- バリ島の最初の住民は紀元前3000から2500年、東アジアから移住してきたと考えられる(オーストロネシア、オーストロアジア等)。紀元前100年にはインドからヒンズー教が伝わり、サンスクリット文化の強い影響を受けた。バリ島の名称は913年、碑文に記録されている。14世紀にはジャワのマジャパイト王国により征服され、16世紀マジャパイト王国が陥落した後、ジャワより多くのヒンズー教の貴族、司祭、文学者、芸術家がバリに逃れてきた。第二次世界大戦中、日本軍はバリ島を占領、当時グスティ・ングラ・ライという名の軍人が「自由の戦士」のバリ軍を結成。1945年8月終戦後、オランダ軍はインドネシア(バリ島を含む)に戻り、戦前の植民地支配政策を実施。バリでは当時日本の武器を使用し強硬に抗戦。1945年11月20日、バリ島中部タバナン県マルガ村でププタンマルガラナの戦いが勃発。29歳のグスティ・ングラ・ライ大佐は、バリ島東部から軍隊を率いて、重武装したオランダ軍に決死の攻撃を実行。バリ大隊は全滅、最後のバリ人の抵抗となった。バリ島は、1049年12月29日にオランダがインドネシアの独立を承認した際、後にインドネシア連邦にも組み込まれた。1950年、バリ島は正式にオランダとの連合を離脱、インドネシア共和国の1州となった。1965年、共産党クーデタ未遂事件発生。ジャカルタ、バリ、その他多くの地域でインドネシア共産党の党員や同調者に対する弾圧があり、バリ島では、推定10万人以上が死亡または行方不明になった。2002年10月12日、クタビーチ観光地でバリ島爆弾テロ事件が発生、死者202人、負傷者209人となった(日本人も2名死亡)。このバリ爆弾事件は、2005年の3年後にクタとジンバランビーチでも発生。これらの事件は、犠牲者のほとんどが外国人観光客で、国際的に広く報道され、バリの観光産業は深刻な影響を受けた。バリ州に住む人口の大部分は、先住民族の地元のバリ部族。バリ人は世界に知られている豊かな文化を持ち、バリ島はインドネシアの外国人観光客の主要目的地。ビーチの豊かさに加えて、バリ島では日常文化として、ケチャ・ダンスなどの踊り、オゴオオゴなどのフェスティバルが多い。観光部門とは別に、バリの人々の観光以外、他の就業分野として農業と漁業に従事。
- 7. 経済
- 30年前、バリの経済は生産量と雇用機会の両面で農業に大きく依存。現在、観光産業はバリの最大の収入源で、その結果、バリ島はインドネシアで最も豊かな地域の1つになっている。2003年には、バリの経済の約80%が観光産業に依存。2011年6月末のバリ島全銀行の不良債権は2.23%、インドネシアの銀行業界の平均不良債権(約5%)を下回っている。バリ島テロ事件以降、経済は大きく悪化、観光産業自体は、これらの出来事の余波から回復した。しかし、2019年末新型コロナウイルス・パンデミックの後、観光部門主体のバリ経済は衰退。現在、農業部門がバリ州の経済の主要な柱の1つとなっている。
- 8. 観光
- バリ島はインドネシアの観光のプリマドンナ(主役)、世界中でよく知られており、その自然の美しさ、特にビーチで有名なことに加えて、バリはそのユニークで興味深い芸術と文化でも有名。観光産業はバリ島南部と他のいくつかの地域に集中。主な観光地は、クタとその周辺、レギャンやスミニャックなどの周辺、サヌールなどの東部地域、ウブドなどの市内中心部、ジンバラン、ヌサドゥア、ペカトゥなどの南部地域。クタビーチ、タナロット寺院、パダンビーチ、ベラタンベドゥグル湖、イルカがいるロビナビーチ、ブサキ寺院、ウルワツ、ウブド、ムンドゥク、キンタマーニ、アメッド、トゥランベン、メンジャンガン島など、統合された観光地としてのバリ島には、多くの興味深い観光スポットがある。今日、バリ島には動物園、立体博物館、水の遊び場、カメの繁殖地など、子供向けの教育観光センターもいくつかある。
- 9. 日本との関係
- バリ島は長い間日本人のハネムーン旅行の目的地であった。現在、GA以外、日航機の直接便が無いので、以前の日本人観光客数程の訪問客は無い。4000人以上の在留邦人の大半は邦人女性でインドネシア人男性と結婚した人達。彼女たちの活躍により、二国間文化・社会交流は盛んである。警視庁首席柔道師範(八段)、インドネシア人の武道家が経営する武道館、武道場等があり、日本武道は盛ん。