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インドネシアあれこれ

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ブンクル州

1.州都
ブンクル市
2.人口
2.091.314人
人口密度105人/km2
3.面積
19.919 km2
4.地理
ブンクル州は低地にあり、周囲には沼地が広がっている。19世紀半ばまで、マラリアやその関連疾患が蔓延していた。また、スンダ断層の上に位置し、地震や津浪の被害を受けやすい。2000年6月に起きた地震では、少なくとも100人が死亡。近年の報告では、ブンクル周辺を含む南スマトラ海岸部において今後数十年以内に海底地震による災害の危険性が高いとされている。
5.特色
ブンクル州の名称の由来は英語、並びにオランダ語の古名ベンクーレン。
6.宗教
イスラム教 97,29%、新教プロテステント1,67%、旧教カトリック 0,37%、ヒンズー教 0,22%、仏教 0,13%
7.歴史
1600年代、イギリスはバンテン港を拠点に南スマトラのランプン地域で香辛料貿易を行っていたが、1682年にオランダはバンテンを攻撃、オランダ人以外のすべてのヨーロッパ人は追放された。このため英国東インド会社は、バンテンに代わる拠点として1685年ベンクーレンという名前でこの地に拠点を建設。1714年、イギリスはマールボロ砦をベンクーレンに建設し、この貿易拠点は香辛料の主要産地から遠く離れており、採算が合うことはなかったが、イギリスはこの拠点を1世紀以上維持し続け、最終的には1824年ベンクーレンは英蘭協約によってオランダ領マラッカと交換され、オランダ領となった。1832年アメリカ初の極東特使としてエドマンド・ロバーツがベンクーレンを訪れている。この時の人口は18000人と推計され、オランダ人、中国人、ジャワ人、インド人など多様な人々が住んでいた。当時チャイナタウンが町の中心部の南側にあった。その後はインドネシアの他地域の部分と同じく、第二次世界大戦後にインドネシアが独立するまでブンクルはオランダ領だった。1930年にはスカルノがブンクルへと流刑になったが、ここで後に第三夫人となるファトマワティと出会っている。
8.経済
オランダ統治時代、ブンクルには農園があり、ナツメグ、胡椒、コーヒーの産出地として有名。ナツメグは菓子へと加工され輸出されている。
9.日本との関係
太平洋戦争中、日本軍がインドネシアに上陸後すぐにスカルノをブンクルから解放し、当時第16軍司令官今村中将は、スカルノに日本軍に協力を求め、その際将来のインドネシア独立の約束を与えたと言われ、東条首相の逆鱗に触れた今村はラバウルに左遷された。