
マルク州
- 1.州都
- アンボン市
- 2.人口
- 1.848.923人
人口密度 39人/km2 - 3.面積
- 46,914.03 km2
- 4.宗教別比率
- イスラム教徒 52.85%、プロテスタント教徒 39.39%、カトリック教徒 6.87%、ヒンズー教徒0.32%、仏教徒 0.02% 他信仰 0.55%
- 5.宗教
- 16世紀にポルトガル人がカトリック(旧教)を持ち込み、その後オランダ人がプロテスタント(新教)を布教。現在、マルク・プロテスタント教会(GPM)はインドネシア・プロテスタント教会 (GPI)とは分離している。オランダの影響が強いが、マルク州、北スマトラ州のプロテスタントはドイツ・マルチン・ルター派で戦前から親日的、教会より司教の影響が強い。
- 6.地理
- マルク州は、インドネシア・マルク諸島の南側に位置し、北はセラム海、南はインド洋とアラフラ海、東はパプア、西はスラウェシ島に接している。植民地時代以前、マルク(モルッカとも呼ばれる)は胡椒、丁子、ナツメグを生産する世界の香料貿易の中心拠点であった。これにより、マルクは今日まで「香料諸島」と呼ばれ、マルク人(モルッカ人)は、中国人、アラブ人、ヨーロッパ人など、諸島内および海外のさまざまな地域の貿易業者と取引した。この豊富な香辛料は、ポルトガル人から始まり、最後にオランダ人まで、東洋を目指した第一要因で、バスコ・ダ・ガマのインド航路開拓、バーソロミュー・ディアスの喜望峰発見、コロンブスのアメリカ大陸発見、マゼラン世界一周等の主要要因になり、この香料を求めて大航海時代が始まった。マゼランはアンボンが胡椒、シナモン、丁子、ナツメグの原産地であることを発見。その後、フランス人は丁子を秘密裏に運び出し、マダガスカル、ザンジバルに移植したと言われる。
- 7.歴史
- マルク諸島は、中世と氷河期の間、150〜100万年前に形成され始め、約30,000年前にネグりートとウェッダ(石器時代の人達)からなるオーストロ・メラネシア人が移住、その後、東南アジアより旧マレー系(プロトタイプ・マレー航海民族)、新マレー系(インドシナ半島を南下、スマトラ島より陸路で島伝いの沿岸を移動、現代のスマトラ・ムラユ系)の移動があり、混血を拒んだオーストロ・メラネシア人達はミクロネシアに移動。この地域は現在までオーストロ・メラネシア人が主要な位置を占めている。マルクの洞窟には、スラウェシ島の洞窟の様な絵だけでなく、人間や動物の生命の絵画とも言われるパプアの洞窟画に似た絵画がる。この文化は新石器文化の農耕文化として斧や鍬の使用に発展。その後、歴史的世界交易ルートは陸路のシルクロードと海路の香料ルートに分かれ、どちらもマルクを通る。そのため、マルクは古くよりアラブ、ペルシャ、グジャラート、中国などの外国人貿易業者が来訪。 7世紀には中国の業者がマルクの辛料貿易を支配、後の何世紀にも亙り、アラブとペルシャの交易を占領。それにもかかわらず、アラブとペルシャの業者は、7世紀以来、丁子などのマルクから西欧市場での香料を交易していたと記録されている。当時はアラビア語を導入している。12 世紀スリウィジャヤ王国はマルクを支配、14世紀はマジャパイト王国が支配した。1511年、ポルトガル人がマルク諸島テルナテに到達。アンボンとバンダに住宅ロッジと要塞を建設、そこで伝道と現地婚を積極推進した。バンダは交易の中心地、アンボンは都市として発展。1605年以降、オランダは武力でポルトガル人を征服、アンボンは1619年にオランダ領東インド会社バタビア本社に移るまで、群島の同会社(VOC)の中心であった。1624年から1658年にかけての英蘭間のアンボン戦争が発生したが、双方とも日本より屈強の傭兵を雇い、日本人同士が戦った。関ヶ原の戦い以降、日本には浪人が溢れたが、オランダは長崎の出島、イギリスは平戸で多くの日本人浪人の傭兵を雇い入れた。アユタヤ朝の山田長政も同様、800人が傭兵となって渡航し、その結果タイ・アユタヤ王朝は英仏に対抗出来たと言われる。
- 8.言語
- 2020年まで、マルク語には62の地方言語があると記録されている。過去3年間で、インドネシアで絶滅した地域言語は合計11の言語で、そのうちの8つはマルクの地方言語であった。
- 9.教育
- 現在、マルクは7歳から18歳までの市民を対象に、国の9年間の義務教育を上回る12年間の義務教育を実施。マルク州はジャカルタ首都、リアウ諸島州に次いでインドネシアで3番目に教育水準の高い州。2019年の平均就学期間は9.81年。マルク州は大学への進学率はジョクジャカルタに次いで全国で2番目に高い。
- 10.文化
- マルク文化には米国のハワイ文化と共通点が見られ、ウクレレとハワイアンなどの弦楽器がある。これは、過去から現在までマルク音楽が、伝統舞踊に基づくハワイの楽器を使用しているという特徴を有している。他方、もう一つはサワットと言う音楽で、マルク文化と中東文化の融合文化。数世紀前、アラブ人はマルクでイスラム教を布教、音楽を含む色々な文化が混在していた。砂漠の楽器を特徴づけるタンバリンやフルートなど、いくつかのサワットの楽器で明らか。様々な楽器とは別に、マルク人は歌うのが得意なことで有名。昔から、伝統舞踊を伴って歌うことが多く、マルク諸島から生まれた多くの有名な歌手がいる。
- 11.経済
- マルク州の総GDPは北マルク州とゴロンタロ州に次いでインドネシアで3番目に小さい経済規模である。2018年、マルク州はインドネシアのGDPの0.29%。しかしながら、一人当たりの収入は、ヌサ・トゥンガラ州に次いでインドネシアで2番目に大きく、2018年の一人当たりのGDPは
24,278,490ルピア、マルク州の経済成長は全国平均を上回り、GDP成長率は5.94%。一人当たりのGDP成長率は4.20%であった。その背景は盛んな香料貿易、農林水産業部門と国防予算の配置も影響がある。州内のバンダ海はマグロ・カツオの漁業資源の宝庫で、以前は大量の漁獲が日本に運ばれていたが、現在では日イの漁業協定の取り決めはない(領海の解釈の食い違い)。 - 12.日本との関係
- アンボンには戦後、長い間名誉領事館が置かれ、日本のカツオ・マグロ漁船の停泊基地であった。江戸時代の日本人傭兵侍伝説もあり、非常に親日的土壌の地域。マグロはバンダ海を回遊する回遊魚で当時は殆どのマグロは冷凍船で輸送され、日本国内の相当量のマグロはバンダ海産であった。