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インドネシアあれこれ

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リャウ諸島

1.州都
タンジュンピナン市
2.人口
2.064.564人
人口密度 252人/km
3面積
8.201 km2
約96%が海洋で、陸地は約4%にすぎない
4.地理
リアウ諸島州は北にベトナムとカンボジアの水域に接し、東はボルネオ・マレーシアと西カリマンタン、西はシンガポール、マレーシア本島、リアウ州と、南はバンカブリトゥン州、ジャンビ諸島と接している。
5.特徴
中国は、南シナ海に一方的に自国の権益が及ぶ範囲として「九段線」を設定、南沙諸島や西沙諸島の島々の領有権を巡ってマレーシア、ブルネイ、ベトナム、フィリピン、台湾などと争っている。まさに、リアウ諸島州は中国と領有権、経済権益等で争っている地域である。
合計2,408の大きな島と、30%が無名で小さな島がある。リアウ諸島はリアウという名前から来ており、リアウは混雑を意味する騒々しいという言葉から来たと言われている。これは、リアウ諸島地域がかつて貿易と群衆の中心地であった故。人口の大半はマレー系、次にジャワ人、バタック人、華人、ミナン人。このマレー語はリアウマレー語と呼ばれ、インドネシアのマレー語より、マレーシアのマレー語に近い。恐らく、スリウィジャヤ王国の時代、マレー語はすでにインドネシア群島内の国際言語であり、少なくとも群島内の交易言語として使われていたと思われる。マレー語の中心地は、マレー系王国。のその中心はマラッカにあったが後にジョホールに移った。しかし、最後はリアウ州に移動し、マレー言語系王国の文化継承はジョホールマレー語として、リアウ地域のマレー語はリヤウマレー語になって行った。古代には、マレー語が公用語として話されるようになった背景は広大な版図を擁したスリウィジャヤ王国と言われる。
6.宗教
イスラム教徒 78,29%、新教プロテスタント 11,97%、旧教カトリック 2,54%、仏教徒 6,99%
儒教徒 0,15%、ヒンズー教徒 0,05%
7.歴史
リアウ諸島のイスラムはジョホール・スルタンの設立とともに発展。ジョホールの歴史とはマラッカ・スルタン治世中に始まり、以前はジョホール州とリアウ州はマラッカ・スルタン領の一部であった。マラッカ王国は1511年にポルトガルにより征服され陥落。歴史家スララトゥス・サラティンによると、マラッカのスルタンが1528年、亡くなった後、王の息子の一人であるスルタン・アラウディン・シャーはジョホールを拠点に、ジョホール・スルタンとして知られるようになった。マラッカの相続人としてのジョホール・スルタンはリアウを主権領土として継承。1824年のロンドン条約により、イギリスとオランダの植民地として半分に分割され、ジョホール・スルタン王国は、オランダ治世下のリアウ・リンガ・スルタン国になった。1945年、インドネシアとマレーシアの独立後、ジョホールは1963年、マレーシアの州の1つになった。そしてリアウ諸島はリアウ州となり、シアク・スリ・インデラプラの元スルタン領土と合併。リアウ・リンガ・スルタン国はリンガ島に設立されたイスラム王国の一つであった。リアウ・リンガ・スルタン国の中心地はもともとペニエンガット・タンジュン・ピナンにあったが、後にリンガ島に移された。リアウ・リンガ・スルタンは1911年2月3日に消滅、蘭印領東インド植民地政府が全権を握った。但し、このスルタンの王国はリアウ・マレー語が地域共通語の発展に一役買った。
8.経済
リヤウ諸島州の有望な資源は海底油田、天然ガス、錫、ボーキサイト、砂鉄、花崗岩、石英、砂鉄。早い成長セクターとしては運輸・通信分野(8.51%)、製造業(7.41%)、金融分野、レンタル、企業サービス(6.89%)、サービス部門(6.77%)、貿易、ホテル、レストラン分野(6.69%)等が挙げられる。群島州として、州内領土は海域で、96%を占めている。この背景より養殖事業から養殖・漁業技術の利用まで、海の幸に恵まれている。カリムン県では、浮遊網を使い鯛養殖、海藻養殖等が営まれている。バタム県、ビンタン県、リンガ県、ナトゥナ県も大きな漁業分野の開発可能性を秘めている。4つの地区の漁業開発プロジェクトに加えて、海水および淡水養殖も開発されている。バタム島には、年間100万匹以上の稚魚を生産できるハタの孵化場センターがある。ナトゥナ、北ナトゥナの南シナ海におけるインドネシアの排他的経済水域(EEZ)は非常に豊かな漁場である。しかし、中国との間では大陸棚問題があり、国際的係争中案件。但し、国際司法的にはインドネシアの占有権が認められている。リヤウ諸島州はシンガポールに近く、大きな市場を有し、水産物の輸出を増やし、地元の収入を増やすことも期待されている。畜産の分野における可能性についてもアヒル、牛、養鶏、豚、およびヤギ等家畜開発も有望。リアウ諸島のほぼ全ての県/都市は、土地が肥沃で農地や畜産、及び農産品加工分野は非常に有望である。農業部門は、特にビンタン県、カリムン県、バタム島は戦略的重要分野である。園芸のほかに、ココナッツ、コーヒー、ガンビア、パイナップル、丁子などその他の作物にも適している。リアウ諸島州は、バリ州に次いで海外からの観光客の多い2番目の観光地である。シンガポールからフェリーが出ており、外国人観光客が多く、バタム島だけでコロナ前は250万人以上に達していた。リアウ諸島州の観光スポットは、さまざまな島、県や都市にあるビーチツアー、ゴルフツアーに人気がある。また、サーフィン、ダイビングどの海洋観光も人気がある。小型モーターボート、フェリーでタンジュンピナン - バタム - カリムン - リンガ間への主要な交通機関も整っている。
9.日本との関係
日本政府はナツナ周辺海域の沿岸警備の資機材提供、漁港整備の支援等を実施している。尚、バタム島バタム市内の中心街に「NAGOYA」という地名がある。日本人会、地元政府に聞いても名前の由来は不明であったが、明治以降、シンガポールから船でバタム島にやってきた名古屋からの移民がいたものと思われる。スマトラ・メダンの最初の日本人もシンガポールから来訪し、行商から身を起こした者は多い。しかし、終戦後、日本人のそれらの足跡は内地引き揚げにより歴史から忘れられ、地名だけ残っていると考えられる。