INFORMATION

インドネシアあれこれ

  1. HOME
  2. インドネシアあれこれ
  3. 中部カリマンタン州


中部カリマンタン州

1.州都
バランカラヤ市
2.人口
2.670.000人
人工密度 17人/km2
3.面積
153,564 km2
4.宗教
イスラム教 74.11% 、新教プロテスタント16.67%、旧教カトリック 3.23%、ヒンズー教/カハリンガン 5.84%(クリン人)、仏教徒 0.11%、儒教徒 0.01%
5.地理
中部カリマンタン州の北部はミュラーシュワナー山脈、アンカ丘陵などの海抜343メートルの標高からブキットラヤ(西カリマンタンと接している)のような海抜2278メートルまで、52の様々な高さの山々で構成。州内では海抜1652メートルの標高を持つバトゥタタウ山が東カリマンタンに接する東端にあり、中部カリマンタンの最高峰は、海抜1660メートルのバトゥサンバン山。
6.特徴
中部カリマンタンの南部は、低地、沼地で構成されている。中部カリマンタン州には11の大きな川と33以上の小さな川または支流があり、これらの川の存在は州の特徴の1つ。長さ900km、深さ8メートルまでのバリト川は州内で最も長い川。スカルノ時1、首都移転計画がありバランカラヤ首都構想もあった。この背景には、対マレーシアとのボルネオのサバ、サラワク領有権問題があり、カリマンタンに首都を移転すると発表したものと思われる。
7.歴史
14世紀以前は、中央カリマンタン地域は未開地の地域、他の地域からの移民はいなかった。当時、唯一の交通手段は小型ボート。1350年、ヒンズー教王国がコタワリンギン地域に勢力を伸ばした。1365年、ヒンズー教のマジャパヒト王国の勢力が波及、数人の首長が王国の総督大臣として任命された。チリク・リウット歴史家が記したパナトゥラン・テテック・テイタムの中のダヤック族の伝説によると、カリマンタンに最初に足を踏み入れたのはブヌ王。其の後、14世紀のマジャバイト王国の総督マハラジャ・S・アガルリヤナータはタンジュン・シラットからタンジュン・プーチンのヒンズーマンダラ地域、すなわちバリト川地域、タバロン、バランガン、ピタップ、アライ、アマンディット、ラブアン・アマス、ビアジュ・ケシル(カプアス・ムルン)と呼ばれる地域を治め、大寺院を建立しネガラ・ティパ (アムンタイ)王国として繁栄。各地区には地区長がいた。当時のコタワリンギン地域は別の王国も存在。其の後、ネガラ・ディパ王国はネガラ・ダハ王国によって継承された。16世紀、中部カリマンタンはバンジャルスルタンの領域になった。これは、バンジャルマシンのバリト川の下流に首都を移したダハ王国の後継者。パティ・ルンビ王子はダヤック王女ニャイ・シティ・ビアン・ラワイを勢力下に置き、領土を拡大。其の後、 コタワリンギン王国は強大になるが、1637年オランダとの最初の契約を締結させられ、以降領土をオランダに譲渡されて行った。
8..経済
中部カリマンタン州の面積は153,564km²、パプア州に次いでインドネシアで2番目に大きい州。農地森林はほぼ州内70%を占め、内、原生林の面積は約25%。700,000ヘクタール以上のパームプランテーション、其の他ゴム農園と籐のプランテーションは、特にカプアス、カティンガン、プーランピサウ、グヌンマス、東コタワリンギン地域を中心に広がっている。生産鉱物資源としては、石炭、金、シリコン、鉄鉱山等。その他、銅、カオリン、宝石等の埋蔵量も多い。
9.日本との関係 
中部カリマンタンは森林伐採による泥炭地被害の広がりがかなり速い段階から深刻化。日本は森林学会等の専門家、大学教授が泥炭地再開発に日本式バイオマス方法を提供する等貢献している。しかし、アグロビジネスのシンジケート等の動きもあり、必ずしも効果は上がっていない。