
北スマトラ州
- 1.州都
- メダン市
- 2.人口
- 15,136,522(2021年現在)
人口密度 207人/km2(北スマトラ州は、西ジャワ州、東ジャワ州、中部ジャワ州に次いでインドネシアで4番目に人口が多い州) - 3.面積
- 72,981.23 km2(ほぼ東北6県に相当する広さ)
- 4.宗教
- イスラム教 63.36%、新教プロテスタント 26.66%、旧教カトリック 7.33% 仏教徒 2.43% 、儒教徒 0.11%、ヒンズー教徒 0.10%。特に、バタック人はドイツのマルチン・ルター派プロテスタントが多い。彼らはイスラムもオランダの影響も受けず、長い間伝統の中にいたが、ドイツ人宣教師がバタック族を土着信仰からプロテスタントに改宗させた。
- 5. 歴史
- オランダ統治時代、北スマトラはグーヴェルネメント・ファン・スマトラと呼ばれるオランダ植民政府の中心拠点地。スマトラ島全体をカバー、メダンには知事が置かれた。独立後、地域国家委員会(KND)で、スマトラ島は3つの州、すなわち北スマトラ、中央スマトラ、南スマトラに分割され、アチェ州は認められずチェ独立戦争が勃発した。当時北スマトラ州は、3つの行政区、すなわちアチェ県、東スマトラ県、タパヌリ県に分割。正式には1948年4月15日、インドネシア共和国制定法第10号が公布され、スマトラ島は3つの州、北スマトラ州、中央スマトラ州、南スマトラ州が設置、各州政府は条例・規制を定め、統治する権利を有することが規定された。1948年4月15日は各州設立記念日が定められた。1949年初頭、スマトラ島の州政府再編が再び行われ、1949年5月17日、緊急政府令第22号により、北スマトラ州は廃止され、更に1949年12月17日、非常事態政府緊急法令により、アチェ州とタパヌリ・東スマトラ州が設立された。その後、1950年8月14日、政令により北スマトラ州が再び、正式に定められた。1956年12月7日、法律第24号が公布され、アチェ州の自治区が認められ、北スマトラ州の地域の一部はアチェ州に編入された。
- 6. 地理・気候
- 北スマトラ州は北緯1度から 4度、東経98度から100度に位置し、州面積は72,981 km²、ほぼ、東北6県に相当する広さ。北スマトラ州の東海岸は他の地域より比較的インフラが整備、開発が進み発展し、人口密度も高い。オランダ領東インド植民地時代、この地域はリアウ州と共に現在まで、ゴム、石油等の開発中心地地として栄えている。州の中央部にはシアンタール等ゴム農園の人口集中拠点地域があり、カルデラ湖のトバ湖(琵琶湖の2倍の広さ)、湖の中心にサモシール島(県の行政地区を有する)周辺地域は、バタック族の故郷として人口密度は高い地域。北スマトラ州には419の島があり、インド洋側にはサーフィンが盛んなニアス諸島等色々な島々がある。その他、北スマトラ州には現在、グヌン・ル―ザー国立公園、パタン・ガディス国立公園の2つの国立公園がある。北スマトラ州の森林面積は3,742,120クタール、保護林1,297,330ヘクタール、伐採可能林879,270ヘクタール、伐採限定可能林1,035,690ヘクタール、転換可能林52,760ヘクタールからなる自然保護区等からなっている。しかし、この数字は毎年減少している。特に国有林は減少、違法伐採が増え、森林破壊も増加している。206,000ヘクタール以上の森林が伐採され、ゴム、パームのプランテーションに代り、乾季時の森林・プランテーション火災、雨期時の大洪水等の災害の要因にもなっている。この地域は熱帯気候で、5月から9月は降水量が少なく、10月から4月にかけては、湿気の強い空気のため、降雨量は比較的多い。
- 7. 民族・部族
- 北スマトラ州は多種の先住民族として、トバ湖発祥と言われるバタック人、二アス島の先住民のオーストロアジア系(日本人、北米インディアンにも酷似、雲南からミャンマー経由で南下)、ムラユ系、インド系(小柄なタミール系クリン人)含む多民族がいる。北スマトラの東部沿岸地域にはマレー系が多い。その他、ミナンカバウ族、華人系、アチェ人も他州に比して多い。東部一帯はタバコ・ゴム農園が開設されて以来、オランダ人は多くの契約農民としてジャワ人を導入。メダン市内には華人が多く、中国大陸から移住した5代に遡る華人も多く、メダン市内の約2割の住民は華人系と言われ、殆どは福建語を使う。ランカット、デリースルダンなどの東海岸には、19世紀から住み着いたバンジャル族もおり、複雑雑多な人種構成である。その他、アラブ系の存在もあるが、住民の大部分はバタック族、その他亜属も入れれば、北スマトラ州の人口の大部分はバタック人で45%、次にジャワ人、ムラユ系、二アス人、華人、ミナンカバウ族、アチェ人、バンジャル族、インド系など。バタック族は北部と南部民族に分類され、方言により南方語族はバタック・トバ語族、アンコラ語族、マンダイリン語族、シマルグン語族、北部語族はカロ語族とパクパク語族からなる。
- 8.経済・産業
- 北スマトラ州は石油地帯の中心地で(戦後の日系北スマトラ石油他)、その他天然ガス等資源が豊富。オランダ時代から採掘、また、トバ湖の水力電気を使用、日本が協力した東南アジア最大のアルミ精錬国営会社(PTイナルム、通称アサハン・プロジェクト)があり、日本は官民挙げて総額4110億円(1975年イ政府と契約)を投資、30年契約で成功させ、現在はインドネシア政府に移管している(契約延長は出来なかった)。北スマトラ州内は火山の地熱発電が有望で、サル―ラ地熱発電(330メガワット)はJBICの資金を活用し日本商社が建設。州内はゴム、タバコ、パーム、チョコレート、紅茶、コーヒー、丁子、ココナッツ、シナモン等多くのプランテーション地域がある。22000ヘクタールの広さ(山手線の内側の面積)のブリヂストン・ゴム企業もある。プランテーションは民間企業と国営企業によって管理され、国内最大級の国営第三、第四農園公社がある。他方、パーム・プランテーションが増大する一方、稲作の収穫面積は年々減少。その他の農園作物の土地単位当たり生産量はタイと比較して遥かに低い。北スマトラ州高原地帯は野菜果物の有名な生産地で、オレンジ、キャベツ、野菜、トマト、ジャガイモ、ニンジン等はマレーシア、シンガポールに輸出している。また、北スマトラにはアギンク―ル・リソース・マルタべ鉱業、ソリクマス鉱業、ダイリプリマ金鉱山等の主要な鉱山会社がある。主要輸出産物のコーヒーは世界トップ10に入っている。産業面ではアパレル、家具、合板、ミステリン酸、ステアリン酸、石鹸、麺、エッセンシャルオイル、シーフード/エビ、ココナッツオイル、カカオ豆、CPO、天然ゴム、シーフード(非エビ)、車両用タイヤ、ゴム手袋等がある。
- 9. 伝統工芸
- 織物はバタック族の非常に有名な伝統工芸芸術である。これは製織ウロス生地とソンケット生地。ウロスは、結婚、死の儀式、家を建てる、芸術などに使用されるバタクの伝統的な布。ウロス生地の素材は綿または亜麻糸。ウロスの色は通常、黒、白、赤で、特定の意味を持っている。他の色は人生の多様性を象徴している。パクパック族には、古色織として知られる織りがある。基本色が黒褐色または白色。カロ族には、ウイスとして知られている織りがあり、基本色は濃い青と赤みがかった色。西海岸の伝統社会には、バルス地方ソンケットとして知られる織物があり、基本色はダークレッドまたはゴールデンイエロー。他方、バトゥバラ地方のムラユ・ソンケットは、世界的に広まった典型的な東海岸の工芸品の1つ。ソンケット布を作るプロセスは、まだ伝統的な方法で木製の織機を使用、それでも良質であるため、このソンケットは今日の洗練された機械によって生産されたソンケットに劣らず、魅力的なデザインと非常に高い文化的芸術価値を持っている。
- 10.日本との関係
- アサハン・アルミ・プロジェクトはスハルト時代の日本とインドネシアの代表的な友好プロジェクトで、反中央の政治色の強かったスマトラの開発に成功し、インドネシアの地域開発の手本ともなった。港、道路、学校、病院等も建設し、一時はメダンにJLの直行便が飛んでいた。日本人学校もメダンとスメルターサイトの地域に2校存在した。独立戦争に参加した残留元日本兵もメダン地域が一番な多かった。それは、オランダ軍の進駐が遅れ、多くの日本兵は祖国帰還を望まず残留した。しかし、その後スカルノと日本政府の説得により投降したが、1000人以上が残留したと言われている。