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インドネシアあれこれ

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南スマトラ州

1.州都
パレンバン市
2.人口
8.550.849人 
人口密度 93/km2
3.面積
91,592 km2(インドネシアで6番目に大きい州)
4.地理
南スマトラ州は北にジャンビ州、東にバンカ・ブりトゥン州、南にランプン州、西にベンクル州と接している。南スマトラ州は熱帯湿潤気候、つまりアム気候と言われ乾季の短い熱帯気候。
5.宗教
イスラム教94.23%、新教プロテスタント 2.02%、旧教カトリック1.19%、ヒンズー教徒1.68%、仏教徒 0.88%
6.特徴
東海岸の南スマトラ州は、潮汐の影響を受けた湿地と汽水域。植生はパルマーゼ植物とマングローブ、西側には広大な低地がある。内陸は山岳地帯、南スマトラ州を隔てるバりサン丘、海抜900〜1,200メートルの標高の山岳地帯がある。南スマトラ州には大きな川があり、バリサン山脈から水系でバンカ海峡に流れ込むムシ川、オガン川、コメリング川、レマタン川、ケリンギ川、スンガラキタン、ルピット川等。
7.歴史.
パレンバンは、スリウィジャヤ王国の中心都市。7世紀から14世紀末まで、この地方は東南アジアの大部分に影響を与えたスリヴィジャヤ仏教王国の中心。スリヴィジャヤはまた、現在インドネシアと呼ばれている群島のほとんどを支配した最初の連合王朝でもあった。王朝はインドネシア史上、最大かつ最強の海洋王国で影響はアフリカのマダガスカルにまで及んだ。スリヴィジャヤの首都パレンバンは中東、インド、中国からの商人が頻繁に訪れ、繁栄した港湾都市となった。1926年に発見されたケドゥカン・ブキット碑文によると、スリウィジャヤ王朝683年6月17日に設立されたと記されており、]この日は毎年パレンバン記念日としている。13世紀から14世紀にかけて、この地域はマジャパヒト王国の支配下にはいった。また、この地域はかつて中国の海賊の基地、特に台湾の鄭成功の一族で、日本人倭寇もいたとの説もある。16世紀初頭、イスラム教がこの地域に広がり始め、ヒンズー教、仏教は衰退。17世紀には、パレンバンを首都とするイスラムスルタン国が成立。同時にその時にヨーロッパ人もこの地域に到着し始めた。オランダは蘭領東インド会社を通じ、パレンバンスルタン国を弱体化に追い込み、最終的にパレンバンスルタンを退位させ、その植民統治は第二次世界大戦中、日本軍の進駐まで続いた。
他方、スリウィジャヤ王国の商業拠点はパレンバンで海賊の拠点であったと思われるが、義浄が「南海帰内法伝」で数年間もナーランダ大学入学の為に学んだ寺院群跡はどこにも無い。むしろジャンビ州内のカンパル河上流域にあるムアタクス寺院群の方が近いと思われる。この寺院はスリヴィジャヤの黄金時代に存在していたと考えられこの地域が、スリウィジャヤ王国の王都と考えられる。ユドヨノ大統領時代この地域はユネスコ世界遺産に登録された。
8.経済
南スマトラ州は石油、天然ガス、石炭などの天然資源が豊富。盛んな製造分野では鉱業および採石業、農業、貿易、ホテル、レストラン部門。各分野別州GDPに占める割合は順次24%、22%、17%、13%。現在、資源が豊富な南スマトラ州には経済特区と新港湾を建設中で、そのための3000haを埋め立て中。経済特区として南スマトラ州内北東地域、南部経済特区、何れも国営合弁建設が建設中。タンジュン・アピアピ港は開港、スマトラ島の南北を繋ぐ高速鉄道、高速道路を建設中。
9.日本との関係
パレンバンは太平洋戦争中、陸軍習志野第一空挺団が急襲降下し、ほぼ無傷で石油製油所を制圧したことで有名。このパラシュートは世界一安全で、ほぼ100%開くことで知られていた。これは千葉県の藤倉航装社製であったが、インドネシア国軍がイリアン開放の際、オランダ軍の拠点を陸軍シリワンギ急降下連隊が急襲し制圧に成功した際に、この千葉県の藤倉航装社製パラシュートを用いたといわれる。当時、この将来の特殊部隊の隊員は一度も落下傘の降下訓練をせず、ぶっつけ本番で降りたといわれるが、日本の安全性を信頼していたと言われている。パレンバンの記念石は習志野第一空団玄関に今でも飾られている。