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インドネシアあれこれ

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日本とインドネシアの共通のDNAは古代海洋民族フェニキア人

フェニキア人は古代セム語の一派でエチオピアのシバの女王、ユダ族、ヒッタイトとは同族系、彼らはアッシリア、新バビロ二アの侵攻で滅亡、また、カルタゴを建立したフェニキア人はローマ人により滅び、その後歴史から消滅する。しかし、古代海洋民族フェニキア人は当時高度の航海術(タルシン船・ボロブドール壁画の古代船に類似)を持っており、全長30メートルの外洋航海船で4000キロの航海に耐え得る船であった。フェニキア人たちは一旦歴史舞台から消えたように見えるが、その船で世界各地に分散、ベネチア商人になる者、コロンブスの様に船乗りになる者、またはインド地方に東遷し、アガナ国(首都はチャンパー)を造った者達もいたと言われている。その後、彼らの末裔は各地で混血を繰り返しつつ、インドネシア(ジャワ)でヤーヴァドヴィーバ(耶婆提国)を建国、ベトナムに渡りチャンパ王国を建て、黒潮にて北上し遼東半島で燕(ヤン)を建国した者、その子孫たちは朝鮮半島の伽耶で安羅国(アラ、任那とも推測)を建国、その後、日本に入って宮崎西都原で邪馬台国を建設したとも言われている。古代フェニキア人達は航海技術と製鉄技術を有し、各地の王族・土侯と混血、最果ての東方では、朝鮮の古代王朝、日本の天皇家とも関係している可能性は大いにあり得る。埴輪の服装、尖がり帽子等は韓国、古代フェニキア人、ヘブライ人のそれと非常に類似している。ここに、古代の日本と海洋民族フェニキア人、インドネシア、ベトナム、朝鮮、インド、琉球等との関連等について以下記述したいと思います。
古代フェニキア人とは
(1)古代フェニキア人は紀元前1500年頃からシリア・レバノン地方の地中海沿岸地域に堅固な都市を次々に築き、古代地中海世界の商業を支配、北欧にまで交易に出かけた商業民族。紀元前8世紀以降は政治的独立を失い、前4世紀にマケドニアに敗れ、前1世紀にはローマに併合された。そのアルファベットをギリシア人が採用。カルタゴはフェニキア人の建てた国で、軍事大国ローマとの死闘の末彼らの文化等形跡も無く滅ぼされた。
(2)ギリシャの歴史家ヘロドトスの記録によると、エジプト王のネコ2世(前606~前583)の命を受けたフェニキア人が、紅海から西回りで3年かけてアフリカを周回したとされ、カルタゴのハンノという航海者は、アフリカ西岸まで航海したという記録も残っている。
(3) ヒッタイトの製鉄技術とフェニキア人の航海技術をも背景にイスラエル王国ソロモン王は地中海・アフリカから中東・インド・ガヤ(製鉄コロニー)まで影響力を持っていたと言われている。カルタゴを造った古代海洋民族フェニキア人は没落後、多くの者はローマの影響力の及ばないフェニキア人の植民地であったインドその他の地に逃れたものと思われる。
タルシン船とインドネシアのアウターリガー船
(1)インドネシアのアウターリガー船とはタルシン船の原型に外弦器を付けたもの。インドネシア人達は9世紀までにアメリカ大陸に行っていと思われる。ノンストップ航海でスマトラからアフリカのソマリアまで簡単に行ける。
(2)フェニキア人のタルシン船と言えば、一番有名なのが古代イスラエル王国のソロモン王のタルシン船団、ソロモン王の父親は、ユダ族出身のかの有名なダビデ王。カナンの地を攻略して、先住民であるエブス人を制圧し、エルサレムに首都を移した。
ヘブライ人(及びフェニキア人)とインド人、インドネシア人との関連
(1) 紀元前よりフェニキア系ギリシャ人航海士達はスマトラ周辺にまでやってきている。彼らは季節風と海洋によりアフリカからスマトラまで商業航海を行い、季節風のことを古くは実在したというギリシャ人航海士の名を取りヒッパロスの風とも呼ばれている。
(2)インド初期仏教の仏像はギリシャ人の顔で、パキスタン、アフガン等でも初期仏像は全くギリシャ人の顔、インドのサリーも由来はギリシャ人の女性の服装。ガンダーラの仏教はギリシャ哲学から影響を受けたヘレニズム哲学から生まれ芸術・宗教。その後、インドからスマトラにバラモン教・仏教が伝わり、シュリウィジャヤ王国はパレンバンに商業都市を造り(シュリウィジャヤの首都はジャンビ州内陸部)、カルタゴ同様の貿易港に似ており、これは交易中心のフェニキア系の末裔港湾都市とも言い得る。この仏教王国は世界中から留学生を集めた。
(3)ヘブライ人達がエルサレムから逃げ込んだ場所の一つはインドで、ビハール州と言われ、現在でも世界有数の良質な鉄鉱石の産地。この周りに、それぞれの一族が、新しい国を建国して行くが、有名なのはソロモン王とシバの女王の末裔が建国したのがアンガ国(古代十六大国の一つ)と言われ首都はチャンパ。このアンガ国の人達はインドネシアに東遷し、ヤーヴァドヴィーバ(耶婆提国)を建設したと思われる。
フェニキア人と日本、朝鮮との関係
(1)インドへ逃れたフェニキア人、ヘブライ人達はそこでアガナ国を建設、彼らの子孫達は航海術を用い、ジャワ、ベトナムに移り混血しつつ各地で王朝を建てたと言われている。彼らは更に、北上して遼東半島で燕(ヤン)を建国した後、朝鮮半島南部にまで大きな製鉄コロニーを持った。それが、伽耶(カヤ)と言われ、安羅国となったものと思われ、彼らはフェニキア時代から高度の航海術と製鉄技術持っていた所以。 
(2)彼らの一部で物部氏の祖と思われるニギハヤヒ族はこの伽耶に多羅国、熊本に多婆羅国(タバラ)を建国したと言われている。さらに、伽耶で、安羅(アラ)を建国、その後、日本に入って宮崎西都原で彼らは邪馬台国を建設したとも言われている。つまり、ニギハヤヒ系と邪馬台系は同系統(その祖はフェニキア・ヘブライ系)で、タルシン船を駆使しつつ、アンガ国、ヤーヴァドヴィーバ、チャンパ、朝鮮、日本にまで辿り着いたと考えられる。