
東カリマンタン州
- 1.州都
- サマリンダ市
- 2.人口
- 3.793.152人
人口密度 28人/km2 - 3.面積
- 127,346 km2(インドネシアの総面積の約6.8%、パプア州、中部カリマンタン州に次いで3番目に大きい州)
- 4宗教
- イスラム教 87.40%、新教プロテスタント 7.53% 、旧教カトリック4.41%、仏教0.41%、ヒンズー教 0.23%、儒教 0.01%、アミニズム信仰 0.01%
- 5気候
- かつてほとんどが熱帯雨林、乾季は通常5月から10月、雨季は11月から4月。11月から4月の西モンスーン風と5月から10月の東モンスーンの風が吹く。
平均最低気温は22.1度、平均最高気温は35.1度。 - 6.地理
- 東カリマンタン州は、マレーシア、北カリマンタン州、中部カリマンタン州、南カリマンタン州、西カリマンタン州と境を接するカリマンタン島の最東端の州。
- 7.特徴
- 東カリマンタンでサマリンダ市は州都、バリクパパン市は東カリマンタンの玄関口であると言われ、更に、石油・LNGの産出地ボンタン市を加え三大都市と言われる。
- 8.歴史
- 東カリマンタンには、5世紀以降、クタイ王国(ヒンズー教)、クタイカルタヌガラ・スルタン王国、バシル・スルタン王国、ベラウ・スルタン王国タンなど、いくつかの王国があった。王国の中心では、同じ言語の祖先、すなわちムライク語族からの共通の同族言語系の国として発展。更に、この地は1620年までマジャパヒト王朝の影響下にもあった。1635年蘭印東インド会社(VOC)とクタイ・カルタヌガラの王との間で自由貿易契約を締結。その後、南カリマンタンのバンジャール族もクタイ・スルタンの権力と一体となって、内陸部のダヤック族の支配地まで支配を拡大。1638年以降、スラウェシのブギス族の移住が始まったが、1667年にはマカッサルはオランダの手に落ちた。1817年1月1日、条約に従って、バンジャールのスルタンは蘭印東インド会社に東カリマンタン、中部カリマンタン、西カリマンタンの一部、南カリマンタンの一部(バンジャルマシンを含む)を割譲。1846年、オランダ政府はサマリンダに東ボルネオ(現在の東カリマンタン州と南カリマンタンの東部)管轄のH・フォン・デウォールを常駐植民庁長官として駐在させた。
- 9.経済
- 州内の資源としては石油、天然ガス、石炭等が有望資源。産業としては木材加工工業、農業、観光、加工産業等。バリクパパン、ボンタン等の地域では、経済成長を加速させるための工業団地開発が推進されている。一方、東カリマンタンはパームなどのプランテーション開発が行われ、オレオケミカル産業開発が推進されている。また、東カリマンタンには豊富な動植物があり、189,000種類の植物が生育、花1本あたりの価格が50万ルピア以上の黒蘭もある。天然資源開発問題として熱帯雨林破壊の違法伐採が挙げられている。東クタイ県にはクタイ国立公園があり希少動物保護が行われている。現在、熱帯雨林の大半は伐採されている。経済開発に関し、問題は交通インフラの未整備。州内の多くの地域にはまだアスファルト道路が少ない。多くの州民はフェリー、ボートや飛行機で移動。経済開発を促進するためにバリクパパン・ サマリンダ・ ボンタンを結ぶ高速道路建設計画がある。
- 10.インドネシア首都移転
- インドネシアの首都がジャカルタから東カリマンタン州へ移転する計画は、ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領が2019年に発表、2022年1月18日、 インドネシア国会は首都移転法案を可決。インドネシアが将来大国になる為には、資源が豊富なジャワ島以外の外領に首都を移転する必要があると言われていた。新首都はあくまでも政治・行政都市で、ジャカルタは経済、貿易、ビジネス、教育、芸術、文化等の中心都市として今後も発展が期待される。首都庁長官にはユドヨノ時代のバンバン元運輸副大臣、副長官にはシナルマス・ランドのドニー・ラハルジョ氏が任命され、任期は2022年から2027年まで。大統領宮殿、新空港建設の道路整備の為の資材搬入が始まっているが、今後の見通しとしては巨額の資金調達の問題等もあり次期大統領の意向に大きく左右されるとも見られている。
- 11.日本との関係
- 1945年5月1日、東カリマンタン東岸のタラカン島にオーストラリア第9師団の11800人が上陸。日本軍は陸海軍2200人が守備、6月中旬まで激しい抵抗を続けた。終戦まで連合軍は掃討戦を行い、日本軍は1500人が戦死し、250人が捕虜となった。このタラカンには海軍基地があり、戦争中、中曽根元総理は海軍主計中尉として駐屯。また、ここには唐雪さんの合同墓地もあり、市街地整理の際、日本兵と唐雪さんの遺骨が発見され、一緒に埋葬されていた光景は涙を誘った。