
東ジャワ州
- 1.州都
- スラバヤ市
- 2.人口
- 40.665.696人(2020年現在)
851人/km 2(人口密度) - 3.面積
- 47,803.49 km2
- 4.宗教
- イスラム教 97.17%、新教プロテスタント 1.69%、旧教カトリック 0.68%、ヒンズー教徒 0.27%、仏教徒 0.18%、儒教徒 0.01%
- 5.特徴
- 東ジャワ州はジャワ島の6つの州中で最大の面積を持ち、西ジャワ州に次いで2番目に大きな人口を擁し、インドネシアの中部および東部地域の産業と金融の中心地。経済的にも重要地域、国内総生産の約15%を占めている。
- 6.歴史
- 東ジャワには先史時代から古く人間が住んでいた。これは、モジョケルト原人の化石からも証明されている。更に、トリ二―ルのジャワ直立原人、そしてトゥルンガグンのワジャク人等。マラン市近郊で発見されたディノヨ碑文は、東ジャワで最も古い碑文文書で、760年前のもの。929年、シンドクはマタラム王国の中心を中部ジャワから東ジャワに移し、イシャナ王朝を樹立。その後継としてジャンガラ王国、クディリ王国が誕生。シンゴサリ王国時代、クルタヌガラ王はパマラユ遠征隊とも呼ばれるマレー半島まで進出。マジャパヒト王国時代には、ハヤム・ウルク王とガジャマダは最大マラッカ、フィリピン諸島にまで領土を拡大。東ジャワへのイスラム教の伝播は、1102年のグレシックの墓石に記載、マジャパヒト墓群に多くのイスラム教の墓がある。さらに、475ヒジュラ暦または1082年に亡くなったファティマ・ビンティ・マイムン・ビン・ヒバトゥッラーの墓は、グレシックのマニヤール県レラン村で発見されている。ポルトガル人は東ジャワに来た最初の西洋人。コルネリス・デ・ハウトマン率いるオランダ船は1596年にマドゥラ島に上陸。
- 7. 地理
- 東ジャワ州は、北にジャワ海、東にバリ海峡、南にインド洋、西に中部ジャワ州と接している。マドゥラは東ジャワ島最大の島。東ジャワの高地では、深夜から朝にかけて海抜1500メートル以上の標高で小雪と霜が降る。中央部には一連の燃えるような険しい山々があり、中部ジャワとの州境にはラウ山 (3,265メートル)がある。マディウン南東にはウィリス山(2,169メートル)とリマン山 (2,563メートル)がある。中央回廊には、アルジュノ山(3,339メートル)、ウェリラン山(3,156メートル)、ブタク山 (2,868メートル)、アンジャスモロ山(2,277メートル)、カウィ山(2,551メートル)ある。更に西側には、ブロモ山(2,329メートル)、スメル山(3,676メートル)の山頂があり、マハスメルと呼ばれる山頂を持つスメル山は、ジャワ島で最も高い山。更に周辺地域には、アルゴプロ山(3,088メートル)をピークとするイヤン山脈と、ラウン山 (3,344メートル)をピークとするイジェン山脈がある
- 8. 民族・部族
- 東ジャワの民族グループの大部分は地元の先住民族、ジャワとマドゥラの部族、すなわちジャワの80.69%とマドゥラの17.53%が主要部族。東ジャワの民族性は他州より異質で、多くの亜種部族を持つジャワ人でもある。テンガル族は、テンガル山脈とその周辺に散在するマジャパヒト王国の逃亡の末裔と言われている。先住民族に加えて、東ジャワは他の多様な民族がおり、華人系、アラブ系、パキスタン人(パンジャブ人)、インド系等彼らは一般的に都市部に住んでいる。
- 9. 文化
- 東ジャワの文化と習慣は中部ジャワから多くの影響を受け、この地域はマタラマンとも言われ、かつてマタラムスルタンの領地であった。中部ジャワ同様に、ワヤンクリットはこの地域で非常に人気がある。東ジャワの北部沿岸地域は、イスラム文化の影響を強く受け、かつて、東ジャワの北海岸はイスラム教の発展の入り口であり中心地であった。9人のワリ・ソゴ(南中国から来たイスラム伝道師)のメンバーのうち5人がこの地域に埋葬されている。古いモスクは3層の屋根からなる南中国のモスクのスタイル。但し、ヒンズーのケン・アロックの子孫の影響地と言われるシドアルジョ、モジョケルト、ラモンガン、ジョンバン、マラン、パスルアン、バトゥ地域はマタラマン文化の影響は少ない。又、マドゥラ族が多い地域はイスラム教の影響が強い。オシン族の習慣は、ジャワ、マドゥラ、バリの文化の融合。テンガル族の習慣はヒンズー文化の影響を強く受けている。東ジャワの人は一般的に一夫一婦制の結婚に固執。プロポーズが行われる前に、男性は女性に既に将来の夫がいるかどうかを尋ね、その後プロポーズが行われる。しかし、北海岸のトゥバン、ラモンガン、グレシック、さらにはボジョネゴロの人々は、インドネシアの他の地域の通常の習慣とは対照的に、女性の家族が男性にプロポーズする共通の習慣を持っている(ガンジュラン)。さらに、女性の家族に入るのは一般的に男性。
- 10. 州内の領事団
- 【総領事・領事館】
日本国総領事館、アメリカ合衆国総領事館、オーストラリア連邦総領事館、
【名誉領事館】
オランダ、ベラルーシ、オーストリア、ベルギー、英国、デンマーク、フィリピン、ハンガリー、ドイツ、カナダ、韓国、モロッコ、モンゴル、フランス、ポーランド、チェコ、ロシア、NZ,
スロバキア、スリランカ、ウェーデン、スイス、タイ、東チモール、フィンランド、台北貿易事務所 - 11. 経済・産業
- 東ジャワには、インドネシア最大の造船所であるスラバヤのPT. PALや、マランの軍事産業PT.PINDAD、マディウンの東南アジア最大の鉄道産業PT.INKA、製紙工場、プロボリンゴのPT Leces、タバコ工場ケディリのGugang Garam、 スラバヤのサンプルナ、マランのベントール。グレシックにはセメント・プロジェクト工場、ペトロキミア工場がある。トゥバンにはインドネシア最大のセメント工場と石油化学製油所地帯もある。政府はスラバヤのルンクット工業団地、パスルアン工業団地、マディウン工業団地、モジョケルト工業団地、シドアルジョのジャボン工業団地等建設。インドネシア最大の石油生産鉱区の一つであるセブ鉱区は州内ボジョネゴロにある。東ジャワの発電所は水力、火力共にジャワ・バリ系統に電力を供給。一部の地域では、マイクロ水力発電所と太陽エネルギーを使用。また、東ジャワでは、グレシックにあるPTフリーポート社が所有するインドネシア初の金・銅精錬所を建設する計画もあり、この製錬所は世界最大級。
- 12. 日本との関係
- 独立戦争の際、スカルノはオランダと妥協してインドネシア連邦としてイリアン等の東部インドネシアはオランダの統治を認める協約を結んだが、残留日本兵は東ジャワ・ブリタール山中に集結し、対オランダ徹底抗戦を呼びかけ、数百人の残留日本兵、数千名の独立義勇軍が一体となって抵抗。一木隊長等オランダ軍に突撃し多くの残留日本兵は死んで行ったが、スカルノもそれを見て、停戦協定を破棄して、完全独立宣言したことは有名。勇敢に死んで行った日本兵英雄記念碑はマランに建立されている。