
西カリマンタン州
- 1.州都
- ポンティアナック市
- 2.人口
- 147,307 km2
北海道と東北6県にほぼ相当 - 3.面積
- 5.414.540人
人口密度 37人/km2 - 4.宗教
- イスラム教60.07%、旧教カトリック22.16%、仏教徒5.85%、新旧プロテスタント1.58%、儒教徒0.26%、ヒンズー教徒0.05%
- 5.地理
- カリマンタン島に5つある同国の州の1つで、州都ポンティアナックは赤道直下にあり、州人口の約30%はポンティアナック市内に住んでいる。経済発展が遅れている地方のひとつで面積はインドネシア全体の7.53%、パプア州、東カリマンタン州、中部カリマンタン州に次いでインドネシアで4番目に大きい州である。
- 6.特徴
- 西カリマンタン州の森林は820万ヘクタール,過去に最大年間に124,956ヘクタール、つまりジャカルタの面積のほぼ2倍の森林が消失。今でも、プランテーション用に森林は年間42,000ヘクタール伐採されており、他州と比べて最も高い率。現在政府は造植林政策を推進している。西カリマンタンで最も支配的な民族グループはダヤック(34.93%)、マレー人 (33.84%)。特にダヤック族は内陸部で多数派。一方、西カリマンタンで3番目に大きい部族はジャワ人(9.72%)で、人口の約30%がジャワからの移住者、4位は華僑 (8.15%)。シンカワン市では、人口の37%が中国系、32%がマレー系で、ポンティアナック市では人口の32%がマレー系、18%が中国人。西カリマンタンの基本的な文化は、ダヤック、マレー、中国の3つの要素で形成されている。中国人の移住の最大のものはベンカヤンのモンテラードでの金の発見である。当時、サンバスとメンパワのスルタンは中国人を鉱山労働者として連れてきた。
- 7.歴史
- 古代ボルネオ島は、ボルネオ(ブルネイ)、スカダナ (タンジュンプラ)、バンジャルマシン(ブミケンカナ)の3つの王国に分かれていた。タンジュンダトはボルネオ(ブルネイ)のマンダラ地域とスカダナのマンダラ地域(タンジュンプラ)の境界。タンジュンサンバールはスカダナ/タンジュングプラのマンダラ地域とバンジャルマシンのマンダラ地域(コタワリンギン地域)の境界であった。コタワリンギンの流域はバンジャルマシンの支配下にあり、ケンダワンガン川はスカダナの支配下。国境(ラワイ)流域はコタワリンギン王国 (バンジャルマシンに従属)の領土であった。バクラプラまたはタンジュングプラは東部ジャワ・シンゴサリ王国の同系末裔でその領域は広大であった。以上古代で有名だった西カリマンタンの地域は、タンジュンプラとバタンラワイがありダイヤモンドの多い地域として記述されている。これらの地方それぞれ豪族パティに率いられ、これらのパティはジャワ・デマクの支配者パティ・ウヌスに服従。やがてこれらパティがスルタンになって行く。ヒカヤット・パンジャ―ル及びコタワリンギンの古代史写本によると、サンバス、スカダナの土地、バタン・ラワイ(カプアス川の古代名)の土地は、かつてパンジャ―ル王国によって征服された、ヒンズー教時代から貢物が送られていた。バンジャール王国は西カリマンタンのこれらの王国を支配下に置き、勇敢なダヤック兵士を用い、多くの敵を斬首。各地の豪族はダイヤモンド等の献上品を捧げた。1604年、オランダ人は初めてスカダナと交易、1609年、当時のサンバスはVOCオランダと同盟を結び、ブルネイのスルタンとバンジャールのスルタンは分断された。以降、オランダは係る分断政策により、カリマンタンの大分部を支配した。元々、ダヤック人が居住する地域だった西カリマンタンには17世紀にマレー系が移住。先住民であるダヤック人が国家を形成することはなく、16世紀にはマジャパイト王国の王子が西カリマンタン最古の王朝であるスカダナを建国。18世紀には西ボルネオの海岸沿いや内陸部の河川上にマレー人やブギス人が支配者層である都市国家が多数存在していた。1771年には海賊活動によって勢力を拡大したアブドゥルラフマーンがカプアス河口にポンティアナック王国を建国。
- 8.経済
- 西カリマンタンは、農業、プランテーション、漁業産業が主要。主な農産物は、米、トウモロコシ、大豆等。プランテーションの産品には、ゴム、アブラヤシ(パーム)、ココナッツ、アロエベラなどがある。アブラヤシ農園は1,060,000ヘクタール以上に達し、ほとんどは耕作地からの転用、一部は林業省から伐採権を得ている。アブラヤシのプランテーションはアグロビジネス業界、コングロマリットには莫大な利益をもたらしたが、農園の農民たちは悲惨な状況下にあり、国営パーム農園公社のも農民の収入はわずかなもの。そして、コメ等の現物支給が多く、西欧環境NGO団体等はこの状態は、オランダ領東インド時代の強制地域はジャワ海に接し、沿岸州民の主な収入源は水産業。スハルト時代、カリマンタンでは豊富な森林資源とプランテーションをもとにした大規模森林開発が推進され、1998年に中央集権的なスハルト体制が崩壊すると地方分権的民主体制へと大きく転換、西カリマンタンでは森林事業の下請けを地元の華人業者が担っていたことから、各地に群雄割拠した中小規模の経済・社会的有力者たちと親交のある県役人や県政治家が地方首長ポストをめぐって鎬を削るようになり、汚職もスハルト時代より増大しているも。
- 9.日本との関係
- 第二次大戦中、1943年に発生したポンティアナック事件がある。日本海軍特別警察隊による住民虐殺事件。日本統治に抵抗したオランダ人に密通したとされた現地ダヤック王族、マレー系ラジャ、華人有力者等2000人以上(一説には4000)人が裁判なしに死刑にされた冤罪事件と言われている。日本軍は現地人に密告を奨励し、多数の逮捕者が出たが、本件で戦後、13名の海軍警察隊将校がBC級戦犯として処刑されている。又、ダヤック人達は日本将兵の多くの頭蓋骨を家の中で装飾品として飾ってあり、これらの遺骨収集には困難が伴った。