INFORMATION

インドネシアあれこれ

  1. HOME
  2. インドネシアあれこれ
  3. 西ジャワ州


西ジャワ州

1.州都
バンドン市
2.人口
48,782,408人(2021年現在)
人口密度 1379人km2
3.気候
西ジャワの気候は熱帯性で、山岳地帯の頂上では夜間は10度以下まで下がり、北海岸では日中34度以上までになる。赤道地帯の海抜800m以上の高原地域は一年中軽井沢の夏季の気候で、熱帯常春気候と言われ、ハエも蚊も少なく住み易い。平均降水量は年間2,000 mm、一部の山岳地帯では年間3,000〜5,000 mm。
4. 文化・歴史
西ジャワはスンダ文化の中心地。アニールで数千年前の青銅と鉄の金属文化が存在し、更にブニ時代(古代ブカシ)の先史時代の粘土陶器も発見されている。5世紀の西ジャワにはタルマヌガラ王国が存在。碑文があり、ウェンギ文字(インドのパラワの時代に使われた)で7つの碑文が書かれている。タルマヌガラ王国崩壊後、スンダ王国によって継続され、スンダ王国時代の碑文は、932年にさかのぼるケボンコピ2世の碑文。王都はパクアン・パジャジャラン(現在のボゴール市)にあった。16世紀には、セルボン港一帯のデマクのスルタンはスンダ王国のライバルに発展。セルボン港(後にチレボン市となった)は、スンダ王国から分離、スルタン王国として発展。バンテン港もチレボンのスルタンの手に渡り、後にバンテンのスルタン王国に発展。当時のスンダの王は息子のスラワイサに主要港、スンダ・クラパ(現在のジャカルタ)がチレボンのスルタンとデマクのスルタンに陥落するのを防ぐために、マラッカのポルトガル人と安全保障防衛条約を結ぶよう指示。スラワイサがプラブ・スラワイサ・ジャヤペルコサの称号でスンダの王になったとき、ポルトガルと1512年に調印。その見返りに、ポルトガル人はスンダ・クラパに要塞と倉庫を建設する機会と、そこでの貿易の権利を与えられた。1576年以降、スンダ王国はパクアン・パジャジャラン(スンダ王国の首都)を守り切れず、ついにはバンテン・スルタンの手に落ちた。バンテン・スルタンの治世中、ブリアンガン地域(西ジャワ南東部)は中部ジャワ・マタラム・スルタン王バンテン・スルタンオランダ領東インド政府の領土となり、1926年、自治州としての西ジャワは認められた。その設立は、政府の中央集権を解除、地方分権化制度を設立。1925年以前は、スンダ語を母国語とする住民が住むシロサリ川とチタンドゥイ川の西のジャワ島の一部を指す地理的用語として、タタール・ソエンダまたはパスエンダンという用語が使用されていた。1945年8月17日、西ジャワはインドネシア共和国に合併。言語もインドネシア語に統一された
5. 人口と労働
2021年の人口は48,782,408人、州内の都市化の進展は、特にジャボデタベック周辺(ジャカルタ周辺)で急速に進んでいる。西ジャワ州は高い教育を受けた労働力を有し、教育を受けた労働者の総全国労働力の18%。その大半は農林水産業(31%)、製造業(17%)、貿易、ホテル、レストラン(22.5%)、サービス業(29%)に従事。
6. 経済
30年以上にわたり、西ジャワは急速な経済・工業発展を経験。特に経済の発展は製造業とサービス業が拡大。社会とインフラの発展に加えて、製造業は投資を通じて開発に貢献する上で最も重要で、非石油製造業の多くは西ジャワ州に集中. 西ジャワ州のGDPは2003年にRp231764億(US $ 27.6億)に達し、全国GDP全体の14〜15%を占め、州としては最高額の数値となった。しかし、人口が多いため、西ジャワ州の一人当たりGDPは石油とガスを含めて5,476,034ルピア(644.24米ドル)、これは全国平均の86.1%。政府統計によれば当時の経済成長率は、石油・ガスを含めて4.21%、石油・ガスを含めて4.91%でインドネシア全体よりは良好。
7. 製造業
西ジャワは、エレクトロニクス、皮革産業、食品加工、繊維、家具、航空機産業を含む製造業に高いレベルの投資が集中している。また、地熱、石油・ガス、石油化学産業も西ジャワの主力産業。西ジャワ州のGRPに最も大きく貢献しているのは、製造業(36.72%)、ホテル、貿易、農業(14.45%)で合計51.17%。色々な危機の最中、西ジャワは依然として伝統的な繊維産業の中心である他の地域とは対照的に、近代繊維および国家的アパレル産業の中心地。西ジャワ州は、非石油・ガス部門におけるインドネシアの生産総額のほぼ4分の1を占めている。繊維製品の主な輸出は、西ジャワの総輸出の約55.45%、その他は鉄鋼、履物、家具、籐、電子機器、航空機部品など。
8. 農林水産業
インドネシアの「米穀倉地帯」の1つとして知られ、29.3千平方キロメートルの総面積のほぼ23%が米の生産に割り当てられている。西ジャワはインドネシア経済のための「食糧生産の母屋」的存在、西ジャワ州の農産物はインドネシアの農業の総価格の15%. 特に食用作物製品としては、米、サツマイモ、トウモロコシ、果物、野菜、お茶、ココナッツ、パーム油、天然ゴム、砂糖、チョコレート、コーヒーなど。家畜は120,000頭の牛を生産し、全国全体の34%を占めている。また、西ジャワは、北はジャワ海、南はインド洋の両側に面しており、海岸の長さは約1000km。西ジャワ州は巨大な漁場を有し、大きな投資の可能性を秘めている。チレボン港は、タンジュン・プリオク・ジャカルタの港として、また漁業を併設した西ジャワ漁港として、統合的な開発計画が進められている。内陸水域の開発発展の可能性については、西ジャワを流れる多くの河川からだけでなく、この可能性は、発電に加えて農業地域や淡水漁業の灌漑にも有用。
9. 石油鉱物と地熱
石油は西ジャワの北、ジャワ海沿い存在、地熱埋蔵量(地熱)は西ジャワのいくつかの地域で発見されている。石灰岩、安山岩、大理石、粘土など鉱床埋蔵量は非常に多い。他方、金を含むレアーメタルも有望。何れも国営鉱物鉱山(Aneka Tambang)によって経営管理され、金については550万トンで1トンあたり12.1グラムの金を生産している。
10. 日本との関係
西ジャワ州は高等教育機関が集中しており、国軍の幹部教育機関も同様。国立パジャジャラン、バンドン工大等の学長、教授陣は元日本留学生が多くを占めており、非常に親日的州でもある。柔剣道・空手道が盛んで、日本人指導者が昔から学生、社会人、青年達を指導、バンドンには笹川武道館がある。学生運動のリーダー、国軍指導者の多くは何らかの日本武道の有段者である。