
西スマトラ州
- 1.州都
- パダン市
- 2.人口
- 5.534.472人
人口密度 131人/km 2 - 3.面積
- 42,012 km2
- 4.宗教
- 宗教
イスラム教 97.48%、新教プロテスタント 1.36%、旧教カトリック 0.93%、仏教徒 0.22% - 5.地理
- 西スマトラ州はスマトラ島中部の西海岸に位置、州内には東内陸にブキットバリサン高原が広がり、インド洋沖合にはメンタワイ諸島等多くの島々がある。北から南へ、42,012 km²の面積を有し、北スマトラ、リアウ、ジャンビ、ベンクルの4つの州に隣接。
- 6.特徴
- 西スマトラ州にはムラユ系ミナンカバウ族が多く住んでおり、パダン人ミナンカバウ族の拠点地域。彼らの慣習は、青年男子は家から出て行き、結婚後は嫁側の家に入り、娘は婿を取る習慣がある。パダン・レストランがインドネシア各地にあるのはパダン人男子が州外に出る習慣から各地にパダン料理が広まった所以。オランダ留学等、西欧等遠洋航海に出発する際は、パダン港から出発。当地は先見性のある人物を多く輩出しており、ハッタ副大統領、ナッシール世界イスラム会議議長(マシュミ会長)、其の他スカルノ時代にAPEC構想を豪州に提言した戦前の広島大留学生であったアリフィンベイ教授等がいる。
- 7.歴史
- 西スマトラ州の名称は、蘭印東インド会社(VOC)の時代に遡る。その後、VOCの政治的および経済的影響力の強化に伴い、18世紀まで、西スマトラ行政区域は北スマトラ・バルスからインデラプラまでのスマトラ島の西海岸を広くカバー。パガルユン王国の崩壊とパダン・パドリ戦争へのオランダの関与に伴い、蘭印東インド政府はミナンカバウ内陸部をオランダ政府直轄領とし、ミナンカバウ地域はパダン・ベネデンランデン県とパダン・ボーヴェンランデン県に分割。其の後、独立後のスマトラは北スマトラ州、中央スマトラ州、南スマトラ州の3つの州を認められた。これらに反発した地方指導者達、特に、アチェ、西スマトラ、リアウ等では反スカルノ分離独立運動(プルメスタRRI)を起こした。西スマトラ州のうち、40%以上は依然として保護森林で覆われている。西スマトラ州には7つの県と市にまたがる29の山があり、ソロク県のクリンチ山は3,085 mに達する最高峰。山に加えて、西スマトラ州には多くの湖もあり、最大の湖はソロク地方の面積は130.1km²のシンカラク湖、スマトラ島で2番目に大きい湖。また、西スマトラ州はインドネシアの自身の多発地域の1つ。これは、東西に走るセマンコ断層線上、2つの大きな大陸プレート、すなわちユーラシアプレートとインド・オーストラリアプレートの間の合流点に位置。 西スマトラ州で最近発生した主な地震には2009年9月30日の地震と2010年のメンタワイ諸島の地震がある。ここには伝統的に地方の名手ダトゥの下にナガリ自治共同行政政府組織があり、彼らは明確な領土を持っていた。いまだに地方伝統市政の慣習的な組織。ナガリは当初、ダトゥによって共同で率いられ、その後オランダは彼らを用い間接統治をおこなった。長はワリ・ナガリと言われ、何人かの首長によって支援された。現在は地方公務員 (PNS)によって支援され、民主的に選出され(村長)、任期6年の直接選挙で選ばれる。トゥンク・ティゴ・サジャランガンは、村の行政制度における諮問機関 で、部族指導者、知識人からなる代表機関。ミナンカバウ族の中で西欧留学等キリスト教に改宗する者も多い。1950年代後半にインドネシアに戻ることを選んだ南米スリナムからの移民はスカルノの決定もアリ、西スマトラ州を選んだ。パダン人は商業的才能も高く、この地位的には華人は入れないと言われている。西スマトラ州、特にパダンでは、男系主体のジャワ族等の家族概念とは異なり、女系中心の結びつきが非常に強い。
- 8.経済
- 西スマトラ州の経済は、2009年のパダン地震被害を経験した後、徐々に上向きに動き始めている。この災害の影響は、経済成長が0.90%にしか達しなかった2009年第4四半期に見られた。しかし今、経済成長率は全国平均を上回っている。2012年以降、西スマトラ州の経済成長は6%を上回っている。労働人口の43%、大部分は農業部門に吸収。一方、貿易部門に占める労働人口の割合、又、サービス部門も、災害以降上昇。理由はパーム部門のオレオケミカル分野の急成長がある。但し、食用作物は低迷。西スマトラ州の産業形態は小規模、家庭規模産業が殆ど。産業ユニットの数は47,819ユニットで、47,585の小規模産業ユニットと234の大中規模産業ユニットで構成、203:1の比率。州内の工業面ではセメント加工業が最大。西スマトラ州は6,522,006トンを生産。その他重要なサービス部門は、金融、ホテル、レストラン、旅行代理店。地下資源では鉄、ガリーナ石、亜鉛、マンガン、金、石灰岩 (セメント)、石炭、水銀、硫黄、砂鉄、銅、鉛、銀等が豊富。西スマトラ州はインドネシアの生物多様性に富んだ州の1つ。大部分には、まだ自然保護熱帯林、ラフレシア (世界最大の花)、スマトラ虎、テナガザル、バク、鹿、馬、さまざまな種類の鳥や蝶など、さまざまな希少種が依然として見られる。最後の国立公園と言われ、西スマトラ、ジャンビ、ベンクル、南スマトラの4つの州にまたがっている2つの国立公園に加えて、リンボパンティ自然保護区、アナイ渓谷自然保護区、バタンパルプ自然保護区、ケロックセンビラン地域のホワイトウォーター自然保護区、ハラウバレー自然保護区、ベーリンギンサクティ自然保護区、ハッタ植物公園等自然保護区もある。農園プランテーションとしてはパーム、ココア、ビンロウ。また、インド洋に面し水産業も豊か。西海岸とメンタワイ諸島の海域には、カツオ、マグロ等経済的価値の高い魚が取れる。その他、ハタ、エビ、海藻、カニ、真珠も主力水産物の一つ。沿岸地域、特に群島地域は、多くの作物を生産。丘陵地帯や山岳地帯には、ゴム、クローブ(丁子)、コショウのプランテーションがある。森林に覆われた山岳地帯は木材を生産。急な丘の中腹が多数あるため、起伏の激しい地形は、この地域の農業およびプランテーション部門の発展に障害になっている。鉱物資源として採掘可能な石灰岩鉱床は4300万トン。他の発掘されている鉱物としてサワフルントの石炭とパダンパリアマンの黒曜石と安山岩。豊富な水源もこの地域の発展に多くの利益をもたらしている。シンカラク湖とマニンジャウ湖の水は長い間、水力発電所として使用されている。水源はまた、ミネラルウォーターに加工され、包装される販売されている。
- 9. 西スマトラ州の伝統・文化
- 西スマトラ州はインドネシアの主要な観光地の一つ。その背景は豊かな独特の文化、自然、食文化等があげられる。観光施設だけでなく、様々な国際的な祭りやイベントの頻繁な開催も観光客を集める原動力。西スマトラの観光を支援するために開催されている国際的な自転車レース、メンタワイ・国際サーフィン大会、マニンジャウ湖パラグライダーイベント他がある。西スマトラ州には海、ビーチ、湖、山、渓谷など、あらゆる種類の自然のアトラクションがあり、西スマトラの観光は、タブイク祭り、レンダン祭り、織り芸術など独特の文化提供販売もしている。自然と文化の観光に加えて、西スマトラ州は料理ツアーでも有名。西スマトラ州にはホテルや旅行代理店などの観光宿泊施設が多くあり、221の国際ホテルがある。しかも、5つ星と4つ星ホテルの中にはパダンとブキティンギにしかないASITA(観光協会)加盟の旅行代理店が西スマトラ州には100以上ある。ミナンカバウ村にあるミナンカバウ文化文書情報センターには、顕微鏡写真、新聞、伝統的な服装、民謡録音テープ、政府書簡の文書等18世紀から1980年代にかけてのミナンカバウ族の歴史的プロットなど色々な記録がある。今日のあらゆるタイプのポピュラー音楽は西スマトラ・ミナンカバウ伝統音楽と混ざり合った音楽に由来している。その伝統的な楽器サルアン、バンシ、タレンポン、ラバブ、ププイク、セルナイ、ガンダンタブイクで構成されている。多くの音楽はインストゥルメンタルで、この地域の歌は一般的に悲しさと、優美さと憂鬱な響きである。これは、放浪の習慣に支えられた兄弟愛、家族関係、ふるさとへの深い愛着を持つコミュニティの構造と密接に関連している。西スマトラのダンス芸術は、ミナンカバウ民族とメンタワイ民族文化習慣から来ており、この独自性はイスラム教の影響を受けている。母系の習慣の独自性と男子の放浪習慣も音楽文化に影響。また、西スマトラの伝統的な家、特にミナンカバウ民族の家はルマガダンと呼ばれ、通常、何世代にもわたって部族の親・家族が所有する土地に建てられている。このガダンの家は長方形の形をしており、表面と背中の2つの部分に分かれており、一般的に木製で、一見すると水牛の角のように突き出た独特の屋根を持つ高床式の家。地元の人々によると、この家は海から船で先祖が到着したという物語を伝えている由。この伝統的な家のもう一つの特徴は、鉄の釘を使わず、木製の杭を使っていること。パダン料理は、ほぼ全国、さらには海外でも見られる。西スマトラ・パダン料理で非常に人気のある例としては、レンダン、パダン・サティ。ジャーキー・バラド、ソト・パダン、お粥等。
- 10. 日本との関係
- ブキティンギには太平洋戦争中に陸軍第25軍司令部が置かれ、地下壕をインドネシア労働者に掘らせ、そこで大量の虐殺が行われたとの証言があった。日本人歴史家は右を日本国内、プレスに宣伝し、現地では事実として長い間取り扱われた。スマトラ残留元日本兵二世たちはそれが嘘であるとの証拠を提示(実際は地下壕内で料理をして、酸欠から死傷者が出た)、又、愛知県豊橋市長等に働きかけ、西スマトラ州ソロク県で上水道プロジェクトを実施、成功させ、対日イメージの改善に貢献。現地では日本の協力で水道よりアクア飲料水が出ると評判になった。