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インドネシアあれこれ

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西ヌサ・トゥンガラ州

1.州都
マタラム市
2.人口
5.320.092人
人口密度 264人/km2
3.面積
20,124 km2
新潟県にほぼ相当
4.宗教
イスラム教徒96.80%、ヒンズー教徒 2.44% 、新教プロテスタント 0.26%、旧教カトリック 0.18% 、仏教徒 0.32%
5.地理
西ヌサ・トゥンガラ州(NTBと略記)は西のバリ州と東の東ヌサ・トゥンガラ州の間にあるヌサ・トゥンガラ諸島の中央部に位置。ロンボク島とスンバワ島で構成、ロンボク島の7つの山のうち、リンジャニ山は標高3,775 mの最高山。
北にはジャワ海とフローレス海、東はサペ海峡と東ヌサ・トゥンガラ州、南はインド洋、西にロンボク海峡とバリ州に面している。
6.特徴
西ヌサ・トゥンガラ州の歴史的背景はバリ島のヒンズーバリのゴア王朝と、マジャバイトの後継ゲルゲル王国の争い、更にはバリ攻略できなかったイスラム・マタラム、及び、西欧のキリスト教化政策の係争拠点地として複雑な宗教色が特色。
バリ島で起きる異教徒間の略奪婚(駆落ち婚)もここから起きている。
7.歴史
パリのゴア王国(ヒンズー・バリ)は西欧人来訪以前、西ヌサ・トゥンガラ州にマンガライ王国を建設、フローレス諸島を支配。
オランダ人が来訪、北部交易路は支配され、ゴワ王国は西欧による植民地支配に抵抗、オランダに対抗する為に、ジャワのマタラムと協力。しかし、オランダはキリスト教化の名目でスンバワ島とセラパラン島を支配、南への交易路も支配。
キリスト教化を阻止するために、ゴワ王国は西フローレスに進出。他方、オランダ人はバリ島のゴア王国と同系のゲルゲル王国(マジャバイトの後継)を利用、1624年のセーガニング条約を通じてゲルゲル王国と合意に達しオランダ軍はゲルゲルに接近。
ゴワ王国はゲルゲルの裏庭と考えられていたセラパランを放棄、ますます二極化が拡大。他方、1640年にゴワ王国はロンボク島に入り、1648年スンバワ島のバラ地区に拠点を置くゴワ王国国王代理(総督)を任命。
ゴワ王国は特に東方の大王と呼ばれたスルタン・ハサヌディンの協力・支援の下で激しく戦ったが、敗れ1667年ゲルゲル王国内でブンガヤ条約を受け入れた。他方、1672年以降マタラム王国はロンボック諸島の小国を占領、これはジャワ、スマトラのイスラム王国の支援があり、イスラム圏拡大の目的もあったが、その中心はジャワ・イスラム・マタラム王朝で、イスラミック・センターと呼ばれた所以。
ロンボック王国はイスラム化し、王国はスンバワ島本土を背景に文化が発展、後に今日のロンボク島の伝統遺産文化を生んだ。
ゲルゲル王国は巧みに移民を使って、ロンボク島の肥沃な西側の南部に入植地と田んぼを開拓。
ゲルゲルはヒンズー教徒・イスラムの秘密主義という形で新しい宗派を宣伝、新しい戦略を追求したと言われる。
ロンボク島ではこの教えは現在も影響を残しており、ヒンズー教的イスラムと言われる。
8.経済
西ヌサ・トゥンガラ州はインドネシアの中で開発・経済発展が遅れた地域、貧困率が全国平均を大きく上回っている。
2000年以降、同州はロンボック島、バリ島からの移住政策が推進され、2002年にはスンバワ島南部に東西を横断する南リング道路が開通。
日本政府は計12ケ所の橋梁整備を無償資金協力で支援。更に10ケ所の護岸工事等防護施設を含めた橋梁建設支援を行った。
以降、手付かずだった現地の農業、鉱業、観光業など発展。
インドネシア政府は全国に11地域の経済特区(KEK)を創設、その一つが西ヌサ・トゥンガラ州ロンボック島のマンダリカ経済特区で、観光開発が目的。
プルマン、クラブ・メッド、ロイヤル・チューリップ等五つ星のホテル建設、国際水準のレースサーキッド場、浄水システムの構築等巨大投資が行われている。
9.日本との関係 
西ティモールにおける首狩りは、19世紀に内陸部で王国同士の激しい戦いがあった時期に盛んに行われたが、20世紀はじめにオランダ植民地政府によって禁じられ、やがて行われなくなった。
しかし村人たちは、2002年スンバワ島南部の日本政府支援のメヌ橋を建設するためにはやはり首を埋める必要があるとして、密かにそれが行われていたと言われている。
これについてより詳しいことを語る者があった。「ああいった大きな橋を建てるためには、必ず首が使われなければならない。ただし、完成した橋をもしその首の持ち主の親族が渡ろうとするならば、たちまち橋は崩れ落ちる。だから、親族が通る恐れのない者の首を使わなければならない」。
但し、信憑性に付いては定かではないが、インドネシアの地方の伝統と習慣は色濃く残っている証左でもある。