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インドネシアあれこれ

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西パプア州

1.州都
マノクワリ市
2.人口
1,134,068人
人口密度  9.54人/km2
3.面積
102,955 km2
4.宗教
新教プロテスタント54.17%、旧教カトリック8.71%、イスラム教36.74% 、仏教徒0.19%、ヒンズー教徒0.19%
5.地理
西パプア(西イリアンジャヤ)は、パプア島西端に位置。ラジャアンパット諸島が含まれる。北は太平洋に接し、西部は北マルク州、東部はチェンデラ湾、南はセラム海、西はパプア州に接している。
6.特徴
最近、マノクワリ県アンギ地区、イラメバ村のリナ山脈地域で、フランスのスペクロジー探検隊によって世界で最も深い洞窟が発見された。洞窟は2000メートルの深さに達している。西パプアの山岳地帯は、色々な秘境の宝庫である。
7.歴史
13世紀、中国人、チュウ・ユ―・クアという旅行者がニューギニア、モルッカ到着。パプアの一部を中国名でジャンギ、トゥン・キ―と命名。マジャパヒト王国(1293-1520)時代、ムプ・プラパンカにより記された「ナガラクレタガマの書」に、ニューギニア西部の領土と諸島に言及。15世紀以降、東南アジアからイスラム教徒の商人がパプア人と貿易をしていた。マルク地方スルタン出身のイスラム商人は17世紀まで西パプアの住民と排他的な貿易関係を確立。1545年6月13日、スペイン人オルティス・デ・レテスはニューギニア島北海岸に到着。彼は領土をスペイン王の所有として宣言。ヌエバギ二ア(ニューギニア)と名付けた。これはこの地域の住民が西アフリカのギニア沿岸住民に類似していたからである。西パプア州は、2003年2月にパプア州から分離された。当初は西イリアンジャヤと命名されたが、ポスト・スハルト時代インドネシア全土で起こった領土分割の地方自治に沿ったものである。2007年4月18日、西イリアンジャヤの名称が正式に西パプアに変更された。
8.経済
州経済は農業、鉱業、林産物、観光など、大きな発展の可能性を秘めている。真珠と海藻はラジャアンパット県で生産されている。ティモール布と呼ばれる唯一の伝統的なイカット織り産業は南ソロン県で生産されている。香り高いナツメグシロップは、ファクファク地区だけでなく、他の地域でも生産されている。さらに、自然観光は、テルクウォンダマ県にあるチェンデラワシ湾国立公園など、西パプアの一番の見もの。この国立公園は、クワティソール半島の東からルンバーポン島の北まで伸びており、海岸線の長さは500 km、陸地面積は68,200ヘクタール、海域は1,385,300ヘクタール、サンゴ礁面積は80,000ヘクタール、海域は12,400ヘクタール。
9.日本との関係
太平洋戦争中、20万人の日本軍はニューギニア・マノクワリに上陸し、西部へ密林の中、進軍。マノクワリ、ソロンには飛行場、陸海軍基地等建設し、これが連合軍によって攻撃され、悲惨な戦場になった。多くはジャングルに逃げ、戦死しているが、遺骨収集は殆ど行われておらず、多くは洞窟の中に埋まっている。慰霊塔が建立され、時々発見される遺骨は日本には持参できず、この慰霊塔に安置されている。